戸塚悦朗
弁護士
1991年8月14日故金学順さんは、「日本軍慰安婦」(性奴隷被害者)としての被害体験を公開の席で証言し、世界の人々に衝撃を与えました。金学順さんの勇気ある行動は、現在の「ミートゥー」運動の原点となったと評価してよいと思います。
ヒューマンライツを侵害する戦時の対女性暴力被害の象徴となった金学順さんの訴えの波及効果は、驚くほど巨大なものでした。戦時の対女性暴力にとどまらず、世界中の性暴力被害を受けた女性たちを勇気づけました。国際社会は被害者の訴えに積極的に答えました。
女性たちの訴えは、国連世界人権会議(1993年)や国連世界女性会議(1995年)でも取り上げられました。ついに、1998年に採択された国際刑事裁判所ローマ規定では、性奴隷行為について、戦争犯罪や人道に対する罪をはじめとする国際人道法違反の行為であると規定しています。
また、2005年国連総会は、「国際人権法の重大な違反および国際人道法の深刻な違反の被害者に対する救済および賠償の権利に関する基本原則とガイドライン」(国連原則)を採択し、金学順さんのようなヒューマンライツの重大侵害の被害者を救済すべきことを明らかにしたのです。
慰安婦被害者が提起した日本政府に対する要求をどう実現するかという運動の取り組みも目覚ましいものがあります。筆者は国連NGOの代表として、その運動の一端を担いました。1992年の国連人権委員会で、韓国人の「日本軍慰安婦」被害者へのヒューマンライツ侵害問題について、これを国際慣習法違反の「性奴隷」として提起し、その解決にむけて国連が努力するよう要請しました。
1995年国連人権小委員会が「慰安婦」問題(その他の奴隷類似行為を含む)で初めて日本を名指しし,日本政府がスタートさせた民間募金のための民間基金中心の対策を「不十分」と批判して、この問題の解決のために「行政審査機関」設置を求めました。
対女性暴力特別報告者クマラスワミ報告書(1996年)も、戦時性奴隷等特別報告者マクドゥーガル報告書(1998年)も、慰安婦被害者を「軍事的性奴隷」と位置づけ、日本軍・政府による奴隷禁止違反を一致して認め、日本政府には事実を認め被害者に対して謝罪・賠償する法的責務があると判断しました。
日本でも、1994年現代奴隷制作業部会による国連勧告を受け容れて、慰安婦被害者を支持する動きがありました。常設仲裁裁判所による仲裁解決を求め、日韓の弁護士も支援団体も努力しました。また、多くの国会議員も故本岡昭次元参議院副議長が主導した戦時性的強制被害者問題解決促進法案の実現のために懸命に働いたのです。ところが、これら国連と被害者側が一致して求めた解決方式には、保守政党と歴代政権が協力せず、日本による被害者の救済は実現しませんでした。
日本政府も慰安婦問題を公式的に認めました。河野洋平官房長官談話(1993年)は、被害者への強制等の事実関係を認めました。菅直人首相談話(2010年)は、日本が韓国の国と文化を奪った併合条約は、武力を背景して韓国の人々の意に反して結ばれたものだったことを認めました。ところが、国家補償に代わる措置として立案されたアジア女性基金政策(1996年)も、日韓外相合意(2015年)も、被害者側全体の納得を得るための努力が不十分で、問題解決に至りませんでした。
最後の手段として、慰安婦被害者12人は、日本政府を被告として韓国の裁判所に日本による法的責任を明確にするための訴えを提起しました。これに対して、日本政府は、「主権免除論」(国家は主権を有し、原則として外国の裁判権に服さないという国際法上の原則)を盾にとって応訴しませんでした。そのうち、6人が死亡しました。
ソウル中央地方法院は、2021年1月「慰安婦」勝訴判決を言い渡し、原告1人当たり1億ウォンの慰謝料支払いを日本政府に命じました。また、慰安婦制度について「日本帝国によって計画的、組織的、広範囲に行われた反人道的犯罪行為であり、国際強行規範に違反した」と断じました。国家主権免除の例外として、ヒューマンライツを保障する国際法の発展を象徴する画期的な成果で、国連原則に沿うものでした。
しかし、日本政府は、この判決が国際法違反だと非難しています。また、4月21日に「日本軍慰安婦」被害者が日本政府を訴えた第2次訴訟で、ソウル中央地方法院の異なる裁判部が、国家主権免除論を採用して、原告の訴を却下する判決を言い渡したのです。原告らはこの判決を不服として控訴し、状況が複雑になりました。
日韓両政府が、外交的に早期解決するためには、日本政府が韓国政府の求める被害者中心主義の原則に沿う誠実な謝罪を突破口にして、以下のハードルを越える必要があります。1993年8月河野洋平官房長官談話及び2010年8月菅直人首相談話から再出発し、①まず、過去とりわけ植民地支配の歴史的な事実を直視すること。②戦時強制動員被害のような植民地支配の責任を引き受けること。③その過去の記憶と責任を未来に継承することがそれです。
ところが、現日本政府は、韓国側の国際法違反を責めるだけで、これらの対応を考慮さえしていません。このまま放置すれば、日韓の和解は実現できません。
私たちは、金大中大統領と小渕恵三首相の間で成立した「日韓共同宣言―21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」(1998年)が、両国国民に対し、新たな日韓パートナーシップの構築・発展に向けた共同の作業に参加するよう問いかけたことを想起すべきでしょう。 政府任せにせず、民間ベースであるべき紛争解決のありかたについて、真剣に研究を始めるときが来たと思います。