*この投稿は、コリアネットの愛読者が韓国での体験を基に書いて寄せたものである。投稿者は現在、西江大学に在学中である。
韓国でこんな素敵な人に会えるなんて思ってもいなかった。でも、それは現実となり、期待をはるかに上回るものだった。私の話を聞いたあなたは恐らく、私に「本当か」と問うだろう。私自身も、自分の話が小説やドラマに出てくるような話にしか思えない。しかし、これは事実であり、事実であることに感謝する。
私たちの初対面
私と彼が知り合ったのは2014年5月だ。きっかけはFacebook。私が「ソウルメイト・グループ」というページに加入したとき、彼はすでにそのグループのメンバーだった。彼は、誰かが質問した韓国に関することに対してコメントを書いた。私は彼のプロフィール写真をクリックし、彼は私の関心を引いた。彼のFacebookの個人ページを開くと、成均館大学在学中だと記されていた。成均館大学。私の憧れの大学だった。彼に挨拶し、友達申請をした。メッセージも添えた。そうして対話が始まり、私たちは友だちになった。
彼の名前はヒョン・ジュノ(英語名「アンドリュー」。私は彼を「オッパ(兄ちゃん)」、または「アンドリュー」または「ジュノ」と呼ぶ。彼には「オッパ」と呼んでほしいといわれた。「オッパ」と呼ぶと何か妙な気分になるが、言葉の響きはかわいらしいと思う。
2014年、私は韓国に留学したくなった。韓国に関することは何でも質問した。ハングルから大学の情報まで。彼は私の質問に細かく答え、冗談も言い合うような間柄になった。Facebookを通じこうして良き友だちができるなんて。中央大学に願書を提出するとき、ハングルで全ての様式を作成した。わからないことは彼が手伝ってくれた。彼は連絡先の欄に自分の電話番号を書いてくれた。全ての問題が解決したとき、私は幸せを感じた。西江大学にも願書を提出した。合格したかどうか大学に電話して聞いてほしいとジュノさんに頼んだ。結果はどちらの大学も合格だった。私は西江大学に入学することにした。
Facebookを通じて知り合った彼は、とても親切で、何かあるたびに私を助けてくれた。彼は、大学の入学試験の応募のためにと、私に自分の携帯電話の番号を教えてくれた。今振り返ると、私はかなり彼を苦労させたようだ。
西江大学に合格したとき、私はとても幸せを感じた。そして、感謝した。今までの苦労が全て報われたと思った。
私たちの初対面
8月だった。私が韓国に入国したのは2014年8月22日。私が8月29日まで学生寮に入れないことを知ったジュノさんは、自分の家に私の荷物を置いてくれるといってくれた。8月22~29日の期間、私は宿泊施設で過ごした。ジュノさんが私を拾ってくれたのだ。
問題が起こった。あまりにも多くの荷物を抱えてバスに乗ったため、降りれなくなってしまったのだ。携帯電話はバッテリーが切れ、彼に連絡することもできなかい。でも、幸いなことに、私は彼の携帯電話の番号をメモしてあった。2人の女子高生に頼んで代わりに電話をかけてもらった。2人の女子高生は、ジュノさんに会うまで荷物を持ってくれた。
ついに迎えた初対面の瞬間。スーツケース3つとハンドバッグ2つを抱える私を見た彼の反応を忘れることができない。ショックを受けたようだった。私たちは道端で出会い、私を見る彼の表情はとてもおかしかった。彼はまず私を助けてくれた2人の女子高生に礼を言った(2人の女の子、ありがとう)。
私はスーツケース3つとハンドバッグ1つを持ち、背中にはもう1つバッグを背負っていた。ジュノさんが私に聞いた。「うわあ、こんなにたくさんの荷物を一人でどうやって持ってきたの」。私は....「う~ん... そうね.... そうよ。見ての通りよ...」と答えた。
ジュノさんと彼の祖父
そうして特別な挨拶もなく私たちは出会った。荷物を全部彼の車に積み、私たちは彼の家に向かった。彼は私の荷物を約2週間預かってくれた。彼の家に向かっている途中、私たちはまともに挨拶もしていないことに気がついた。私たちは初対面だが、まるで古い友だちのようだった。そのときやっと挨拶を交わした。やや不自然に。
ジュノさんの家に着いた。ジュノさんのおじいさんは、とても温かい人柄だった。おじいさんは私を温かく迎えてくださり、その姿にとても感動した。ジュノさんは少し疲れていたのか、しばし休息をとった。彼が休んでいる間、私はお祈りした。荷物を彼に預け、宿泊施設にはスーツケース1つだけ持っていった。約20分後、私たちはミョンドン(明洞)に向かった。ジュノさんは、そこでガールフレンドに会う約束をしていた。私たちは明洞で別れ、ジュノさんはガールフレンドの職場に向かった。私は夜まで明洞の街を観光した。
翌日、またジュノさんに会った。一部の荷物を別のかばんに移したかったので、彼の家に向かった。私たちは彼の家に寄り、途中で一緒に夕食を食べることにした。ジュノさんのお母さんは、家族が経営するカフェに招待してくださった。カフェに着いた私たちは、30分ぐらいお母さんの手伝いをした。お母さんはとても美人だった。そして、とても親切だった。そこで働く人たちもみんな親切だった。彼らと一緒にいると心が落ち着いた。
カフェを出て夕食をとることにした。そこで私は感動した。ジュノさんは、私が豚肉を食べることができず、「ハラルフード」しか食べられないことを知っていた。ジュノさんは、豚肉を使用しない飲食店を一生懸命探した。ハラルフード専門店を見つけることができず、どうしようかと悩んでいる彼の表情を忘れることができない。私はどうしたら良いのかわからなかったが、韓国でこんな素敵な人に出会わせてくれた神に心から感謝した。彼は海鮮料理専門店を探し出した。彼は「海鮮料理なら大丈夫だろ?」と聞き、私は「もちろん」と答えた。とても幸せを感じながら夕食をとり、ジュノさんは「ウェルカム・ディナー」といって夕食をおごってくれた。(オッパ、ありがとう)。「ようこそ韓国へ」。
ジュノさんのお母さんと
ジュノさんの家族のカフェで秋夕(旧盆)のパーティが開かれた。ジュノさんは自分の友人たちを招待し、私も大学の仲間たちを招待した。秋夕に特にすることがなかったからだ。私たちはみんな少しずつ食べ物を用意していった。私はジュノさんのカフェでインドネシア料理を作った。パーティは、まるで文化の日のイベントのようだった。私たちは話をしたり、ゲームをしたり、一緒に歌ったりした。とても楽しかった。そして、そこでもジュノさんの家族に感動して涙を流した。ジュノさんのお母さんが豚肉の入っていない韓国風パンケーキを作ってくれたのだ。もともとは豚肉を入れる料理だそうだ。ジュノさんのお母さんは、パンケーキを2種類作った。一つは豚肉入り、もう一つは豚肉の入っていないものだ。ありがとうございます、お母さん。
大学の仲間が私に聞いた。どうやってジュノさんと知り合ったのかと。とても親切でイケメンのジュノさんに。韓国に来る前にFacebookで彼と知り合ったといった。仲間はショックを受けた。私の話を信じようとはせず、「Facebookで知り合ったのは本当か」とジュノさんに何度も聞き返した。ありえないことだと思うかもしれない。ドラマや小説の中の話だと思うかもしれない。でも、これが事実だ。
私もこんな親切な人に出会えるなんて思ってもいなかった。彼はとても良い人だ。
ジュノさんと彼の家族と知り合いになることができてとても嬉しい。ジュノさんという友人、そして「兄ちゃん」と呼べる人と出会い、一緒に過ごせることに感謝している。韓国に家族ができたようで、外国での生活も寂しいとは思わない。私はジュノさんが将来成功すると信じている。彼が歩むべき道に、新たな家庭を築くことに、常に幸福と明るい未来が待っていることを願う。彼のお母さんとおじいさんもいつもご健康でありますように。これからもジュノさんと彼の家族に時々会いに行きたい。
ジュノさん、ありがとう。