ギター弾き語りで「春が来るそうだ」を歌う歌手のパク・カンスさん
大勢の観客が押し寄せるわけでもない。華やかなダンスとパフォーマンスを見せるアイドルでもない。20代前半で歌手としての道を歩み始め、いつの間にか40代の円熟期に入っていた。
歌手のパク・カンスさん。彼女には様々な別名がある。「韓国のジョーン・バエズ(Joan Baez)」に「ヤン・ヒウン二世」。「女キム・グァンソク」とまで呼ばれている。ヤン・ヒウンさんは1970年代の若者文化を象徴する女性歌手で、故キム・グァンソクさんは1980~90年代に2千回を超える小規模のライブコンサートで観客を湧かせた歌手だ。
パクさんは5日、7枚目のアルバム「蝶」をリリースした。精力的な活動は今も昔も変わらない。タイトル曲の「蝶」は、下記の歌詞で始まる。
「花びらが舞う春
花の香りが漂う春
蝶が舞い
青い門の塀を飛び越えていく……」
冬が終わり春になると元気に飛び交う蝶の姿で自由を表現したのだ。
水原市の某ビアホールで働いているときに耳にしたLPレコードの音楽にカルチャーショックを受けたパクさんは、それ以来、地道に歌手人生を歩んできた
デビューから15年。インディーズの時代も含めれば、20年をゆうに超える歌手人生。名の知れた芸能事務所に所属したこともない。ギター一本だけで歩んできた歌手人生だ。
ハイチとエチオピア、そしてマダガスカル。彼女を必要とする国があれば、必ずそこを訪れた。時折、テレビ番組に出演したり、ラジオでライブ演奏を聴かせてくれたりする。
今も昔も彼女のステージは小劇場だ。全国津々浦々に彼女のファンはいる。彼女の生活は、演奏旅行の毎日だ。
彼女は韓国のフォークミュージックの魂を継承する数少ないミュージシャンだ。西欧の若者文化の一つであるフォークミュージックは1960~70年代に韓国に伝わった。自由と抵抗の精神の高まりは、当時の韓国の状況によく似ている。生き生きとした自然、純粋でアグレッシブな若者精神は、多くの人の心を動かした。そうしたフォーク文化の中で成長した若者は「70・80世代」と呼ばれ、40代半ばから50代後半の中年世代で、韓国のベビーブーム世代を形成している。Kポップに象徴される10~20代のアイドルとは明らかに違う。熱狂はしなくても、拍手と歓声をしっかり送ってくれる。フォークミュージックは今も韓国文化の一つの軸を形成している。
彼女の平凡ではない人生と音楽についてインタビューした。
3月5日に発売されたパクさんの7枚目のアルバム「蝶」
- あなたの芸術の世界のテーマは「愛と自然」のようだ。そのきっかけとは。 演奏を披露するステージもそうだが、一番自分らしくなれるのは都会的ではない「土の道」だ。見知らぬ場所に行くと、違和感を感じつつも自分の姿がとても鮮明に見えた。それで、旅行は単に風景やおいしい店を見つけるものではなく、自分の内面を見つめる機会となった。本でしか読んだことのない場所に実際に行ってみると、別世界に足を踏み入れたような感覚だった。旅を通じて多くのヒントを得た。
- ポップミュージックに接する機会のない環境にある全羅南北道の田舎町(南原市・潭陽郡)で育ったと聞いた。歌手になる道は楽ではなかったと思われるが。 その通りだ。上京するまで、ポップミュージックに接することはなかった。いろいろなことを考えると、私は歌手になる運命にあったようだ。歌手として生きる定めにあったのだ。誰かにやれといわれたわけでもないのに曲を書いて歌っているのを見ると、運命はすでに決まっていたようだ。母の影響もあった。母は歌が上手だった。母は毎日のようにキリスト教のラジオ放送を聞き、いつも賛美歌を口ずさんでいた。
- 歌手になるまでの道は平坦ではなかったと思う。アルバイトやミサ(弥沙)里での経験を経て、独自の音楽を見つけ出すまでの道のりとは。歌い始めたのは20歳のときだ。水原市の「ナグラン」というビアホールでアルバイトをした。その店は、LPレコードで音楽を流し、ライブ公演を開き、DJがいた。働きながらいろいろな曲を聞いているうちに、新しい世界が開けていった。アバの「チキチータ」を初めて聞いたきはカルチャーショックを受けた。それまで知らなかった新世界に足を踏み入れたような感覚だった。そうして幅広いジャンルの音楽に接するようになった。
自分に歌の才能があることに気づいたのは20歳のときで、作詞・作曲の才能があることに気づいたのは27歳のときだった。ギターは教会で習った。ギターを弾くのが楽しく好きだったので、あっという間に上達した。歌を引き立てるために、アコースティックギターを独学で一生懸命練習した。
大変なこともたくさんあった。ライブカフェで公演しながら、何度もあきらめようと思った。自分の限界を感じたし、現実と理想のギャップに苦しんだことも何度もあった。22歳のとき、頑張ってやってみようという決心がついた。100万ウォン(約10万円)持ってソウルに上京し、ヨンドゥンポ(永登浦)でのオーデションに応募した。
そこで音楽評論家のク・ジャヒョン先生と出会ったのをきっかけに、私の音楽の道が開けた。先生のおかげでCBSの音楽番組「歌謡の中へ」に出演することになった。その後、レギュラー出演のオファーを受け、5年間出演した。ライブカフェで働いた経験が生き、大変だと感じることもなく楽しくできた。
一本のアコースティックギターを抱えてソウル暮らしを始めたのだ。今振り返ると、当時の若さで自分の生き方を自分で決め、ソウル行きを選んだのは情熱だったと思う。自分で自分を褒めてあげたい。そのとき、もし情熱と決断がなければ、今の自分は存在していなかっただろう。
‐「吟遊詩人」「ジョーン・バエズ」「ヤン・ヒウン2世」のほか、「女キム・グァンソク」とまで呼ばれている。どれも立派な別名だが、気に入っているか。一番気に入っているのは、やはり「パク・カンス」だ。素晴らしい別名を与えられたことには感謝している。「韓国のジョーン・バエズ」は、自分にはもったいと思う。誰の助けも借りずにここまで来れた自分の人生は成功だと思う。歌手として今が絶頂期だ。アルバムを出すという夢が叶い、小劇場で公演するという夢も叶った。
パクさんがマダガスカルを旅しながらカメラに収めた風景
- あなたと旅は切っても切れない関係のようだ。旅で自由を得たという意味は。 ソウル暮らしで都会の生活に疲れていたし、チャンスを逃しはしないかいつも不安でいっぱいだった。何事に対しても意気地なしになってしまったようだった。暮らしの枠の中にはまってしまった消極的な弱虫だと感じていた。初めて遠くを旅する機会を得たが、ずっと続けてきたラジオのパーソナリティを中断しなければならなかった。苦労して得たチャンスを、旅に出て水の泡にしてしまうのか。行こうかやめようかとても悩んだ。
でも、一方をあきらめることで失ったこともあるが、もう一方を選択することで得たものもある。むしろ旅をすることによってより多くのことを学んだ。自信や生きる活力を得ることができた。より良い方向とは、本当に自分が行きたい方向とは何かがわかった。マダガスカルを旅した後、韓国に向かっているときに小劇場を開いてみてはどうかという思いが湧いた。韓国に戻り、賃貸住宅を引き払い、その資金で小劇場をオープンさせた。旅をしたら、失ったものよりも得たもののほうがはるかに多かった。伝えたいことが多くなったし、自分の音楽が変わった。
- ハイチとマダガスカルは、韓国人に馴染みの薄い国だが親しみを感じる。多くの国の中から奥地にある貧しい国を選んだ理由は。 ある知人が、奥地で何の舞台装置もなくギター一本で公演する歌手として私を推薦した。特に、ハイチの病院で開いた公演は、病気を患う患者たちに喜びと癒しを与え、笑顔にすることができた。言葉も肌の色も違う私のパフォーマンスが、しばし彼らを笑顔にすることができた。私のほうが良い経験になったし、多くのことを学んだ。
マダガスカルには2回ほど行ったことがある。マダガスカルを旅した経験と撮った写真のことをラジオで話したら、EBSの「世界テーマ紀行」の製作者から連絡が来た。そして、2回目にマダガスカルを訪れた様子が編集されたドキュメンタリー番組(4部作)が制作・放映された。
ソウル市麻浦区で自ら運営する小劇場「疎通ホール」の前で。彼女は6年前からここで公演を開いている
- 絶えずファンと交流しているのが印象的だ。あなたにとってファンはどんな存在か。 モータ(motor)のような存在だ。何があっても私をステージに立たせ、練習を怠らないようにさせる原動力だ。もし、ファンがいなかったら、今の私は存在していないと思う。
- 愚問だが、好きな歌手は。また、好きな曲は。エミルー・ハリス(Emmylou Harris)、ジョーン・バエズ、韓国人歌手ではヨジンが好きだ。白髪交じりの髪でギター一本で歌うエミルー・ハリスとジョーン・バエズは、私の理想とする歌手だ。
- 音楽を通して叶えたい夢は。また、あなたにとって音楽とは。
曲を書いて歌い、アルバムを出すというのは社会とのコミュニケーションだ。音楽は社会とコミュニケーションをとるる私独自の方法だ。私だけが一方的に語るのではなく、私の曲、私の話を聞いてくれる人が多くいてほしい。だから、多くの人が知る話題の曲、いわゆるヒット曲を作ることが私の目標だ。そうしてこそ、観客が真剣に私の話を聞き、コミュニケーションがとれたことを実感できると思う。これまで私の音楽を好み、私の話を聞いてくれた方々に感謝の言葉を伝えたい。今後、もっと成長できる機会が与えられるよう期待している。
私にとって音楽とは、毎日書く日記のようなものだ。20代から今まで、音楽のない暮らしをしたことがない。曲を書き、歌い、公演していたら、あっという間に20年という歳月が流れていた。私は20年間の自分の人生を音楽で綴ってきた。
パクさんがコリアネットの読者のために書いてくれた直筆のサイン。「幸せな同行、コリアネット!ミュージシャンにも道を開く..」
Park Kang-soo‐Spring is Coming(パク・カンス‐春が来るそうだ)
記事:コリアネット ウィ・テックァン記者、ソン・ジエ記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者
Whan23@korea.kr
3月18日7時30分にシンチョン(新村)疎通ホールでパク・カンスさんのコンサートが開かれます。
お問い合わせ:(02)718-3487、1544-1555