昨年10月18日、キム・スンジン船長は韓国語で「海のカタツムリ」を意味する「アラパニ号」に乗り、韓国人として初めて無寄港、無援助、無動力のヨット世界一周に挑むべく、チュンチョン(忠清)南道タンジン(唐津)市のウェモク港を出発した。
210日間の世界一周航海を終え、 5月16日に唐津市のウェモク港に帰還したキム船長
ヨットの帆に上って写真を撮るキム船長
航海は初っ端から困難に直面する。出航から半月で装備が故障したのだ。帆の広さを調節する装置が折れてしまい、風の強弱を調節できなくなってしまった。さらに、風力発電機のギアが磨耗するなど、航海を続けるのが難しいほど装備の故障が相次ぎ、何度も精神的に追い込まれた。しかし、そのたびに韓国から声援を送ってくれる人々の顔を思い浮かべながら懸命に修理した。そうして困難を乗り越え、最初の赤道通過に成功したのは11月27日だ。
2014年10月18日に唐津市のウェモク港を出発したキム船長は、太平洋、南極海、大西洋、インド洋をヨットで世界一周し、5月16日に帰還した
航海の最大の難関は、やはり「海のエベレスト」と呼ばれるチリ南端と南極の間のケープホーンの区間だった。平均風速36ノット、最大50ノットの突風と約5~7メートルに上る巨大な波が5日間ぶっ通しで押し寄せ、ヨットが2度転覆し、海水が船内に入り込むという危機的状況に立たされた。キム船長はこれに屈せず、出航107日目の2月2日午後10時40分(韓国時間)、無事にケープホーンを通過した。
そして、2月21日午前11時30分(韓国時間)に本初子午線(経度0度、西経と東経の基準線)を通過し、2月26日午後4時45分(韓国時間)にアフリカ最南端の喜望峰(Cape of Hope)を通過した。出航から131日で約2万2,970キロ航海し、航海全体の半分を優に超え、インド洋に進入した。
すべてのことを一人で解決しなければならない孤独の連続だった。栄養のバランスをとろうと、大根の種でカイワレ大根を育てて(上)ビビンバにして食べたり、釣った魚を料理して食べたりした
次の瞬間何が起こるかわからない緊迫した状況の連続だった。強風と荒波で危険な瞬間を迎えたと思えば、風の吹かない無風地帯ではヨットが微動だにせず、精神的な苦労も多かった。また、南極から流れてきた流氷に遭遇するたびに、低気で凍りついたヨットが破損し、深刻な状態になるのではないかとハラハラした。
4月初旬、インドネシアのスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡では、船籍不明船に遭遇する危機にも直面した。夜明け前の暗闇の中で謎の船舶に追われ、キム船長は急いで逃げた。
時折海の中で行うスノークーリングは、疲れた心身を癒してくれた
4月7日未明、陸地支援チームがインドネシア海洋警察の巡視艇でキム船長のヨットに向かった。キム船長は、これまでの航海の様子を撮影した映像を海に浮かべて陸地支援チームに伝達した。陸地支援チームがキム船長と別れて約3時間後、キム船長からスンダ海峡を通過したというメッセージが伝わると、陸地支援チームのメンバーから歓声が上がった。キム船長は13日午後10時52分(韓国時間)、緯度0度(経度108.07度)の赤道を通過し、2度目の赤道通過に成功した。
5月6日、台湾と日本の間の東中国海を通過して韓国西海に進入した。あと約1,100キロだ。13日に西海のピョンテク(平澤)湾を通過し、16日に出発地であるウェモク港に無事に帰還した。母親や娘ら家族をはじめ約2千人が彼を迎えた。 210日間にわたる航海はこうして幕を閉じた。
帰還後、支えてくれたスタッフと関係者ら一人ひとりと挨拶を交わすキム船長
コリアネット イ・スンア記者
写真:コリアネット ウィ・テックァン記者、希望航海推進本部
slee27@korea.kr
キム・スンジン船長の航海の記録(日付順)
ウェモク港出発(2014年10月18日)
赤道(11月27日)
南太平洋フィージー(12月17日)
南回帰線(日付変更線、12月21日)
ケープホーン(2015年2月2日)
喜望峰通過(2月26日)
スンダ海峡(4月7日)
赤道(東南アジア、4月13日)
ウェモク港帰還(5月16日)