ひと

2016.09.13

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豪州の宣教師であり医師だったジェームズ・マッケンジー(韓国名:メ・ギョンジ)とその家族。左側から長女のメ・ヘヨン、末っ子のメ・ヘラン、妻のメアリー・ケリー





1910年から釜山(プサン)をはじめソウル・水原(スウォン)・束草(ソクチョ)など全国25都市を回りながら60年間医療活動を続けた豪州の宣教師家族が当時の韓国の姿を撮りため、写真約9,000枚を残した。

1910年、宣教師として韓国の地を踏んだジェームズ・マッケンジー(James Mackenzie、1865~1956)は看護師だった妻・メアリーケリー(Mary Kelly、1880~1964)と共に26年間、ハンセン病患者のための病院「相愛園(サンエウォン)」を運営した。写真を撮るのが趣味だった彼らは当時の韓国の様子をカメラに収めた。さらにその趣味は子供たちへと受け継がれた。

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1950年代、釜山のチャガルチ市場の水上家屋





幼少時代を釜山で過ごしたメ・ヘラン(Helen P. Mackenzie、1913~2009)とメ・ヘヨン(Catherine Mackenzie、1915~2005)姉妹は平壌(ピョンヤン)で高校を卒業し、豪州に帰って医学を勉強した。その後、韓国戦争まっただ中の1952年、医師・看護師として再び釜山に戻る。

姉妹は釜山市東区(トング)佐川洞(ザチョンドン)に「日新(イルシン)基督病院」を設立し両親のように病人や孤児の面倒をみた。彼女らは特に女性の妊娠と出産を助け、乳幼児の病気を治療することに集中した。

姉妹は豪州に戻る1970年代末まで暮らしていた釜山のハンセン病患者村や東区の埋築地(メチュクチ)、広安里(クァンアンリ)、海雲台区(ヘウンデグ)にあった水泳(スヨン)飛行場、金井山城(クムジョンサンソン)の東門など避難地域だった頃の釜山の様子を写真に残している。彼女たちが特に関心をもったのは貧困の中で家族を世話する韓国女性と子供たちの姿だった。

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1952年9月釜山日新基督病院の開院を記念してメ・ヘヨン(左から2番目)、メ・ヘラン(左から3番目)姉妹が職員らと一緒に撮影した写真





豪州の宣教師家族が2代に渡って残した数々の写真の中から2千枚余りが今月1日に「豪州メ氏家族の韓国物語」とのタイトルで京畿(キョンギ)大学博物館で公開された。

マッケンジー家の家族写真を始め姉妹が釜山に設立した日新基督病院の開院当時の様子、1950年代の釜山チャガルチ市場の水上家屋、戦後の廃虚の中で家族を世話する韓国女性と子供たちの姿、布団に包まれすやすやと眠る四つ子、縁側に座ってタバコを吸う母と子供たちなど当時の生活像が窺える写真も含まれている。

今回公開された写真は2001年のメ・ヘラン氏他界後、遺族が彼女の遺品を整理する過程で発見したスライドフィルム。遺族は日新基督病院を通じてこれらのスライドフィルムを京畿大学博物館に寄贈した。

展示は来年の6月16日まで公開される。詳しい情報は下記ホームページで確認できる。
http://museum.kyonggi.ac.kr/index.html

コリアネット イ・ハナ記者
写真:京畿大学博物館
翻訳:イ・スミン
hlee10@korea.kr

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豪州に帰国する1970年代頃のメ・ヘラン(左)、メ・ヘヨン姉妹




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布団に包まれすやすやと眠る四つ子




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秋の収穫をする農民の家族