障害者向けのリハビリテーション病院の設立に全てをかけた韓国人がいる。
プルメ財団のペク・ギョンハク常任理事の目標は障害者が幸せで暮らしやすい世界をつくること。彼は障害者が最善のリハビリ治療を受け社会的に自立できるよう助けるため2005年にプルメ財団を設立した。
ペク常任理事は「障害者が適切な治療を受け彼らが社会の一員として働けるようにすることが我々の任務」と力を込める
ソウル鍾路区(チョンノく)西村(ソチョン)に位置する4階建てのプルメ財団ビル。市民ファンドで誕生したこのビルではプルメ歯科クリニック(1階)、障害児向けのリハビリ病院(2階)、鍾路障害者福祉館(3階)が運営されている。ペク常任理事は「後援者3千人から85億ウォンを集めて出来上がった。市民の力で子供のためのリハビリテーションセンターを建てるというプルメ財団を信頼してくれた皆さんのおかげでこんなに立派な建物を建てることができた」と語る。
昨年4月にはソウル上岩洞(サンアムドン)麻浦区(マポく)に「プルメ財団ネクソン子どもリハビリテーション病院」が開院した。外来診療と入院治療を一緒に受けられる病院だ。毎日約500人の障害者の患者がここで治療を受けている。
障害のある子供たちがプルメ財団が運営する歯科クリニック(上)とリハビリ医院の物理療法室(下)で治療を受けている
「子供の患者を中心に治療する病院の設立を夢見てきたが、財団設立から11年でその夢が叶った」と話すペク常任理事の本業はかつて記者だったという。CBS、ハンギョレ新聞、東亜日報などの社会部や政治部で記者を務めた。
記者として活躍していた彼がプルメ財団の仕事を始めた理由は、妻が突然の交通事故に遭い一生治らない身体的障害を負うのを間近で見てきたからだった。事故以来、彼は愛する妻と彼女のように一生障害を伴って生きていく人々が暮らしやすい世の中をつくるためにこれまで12年間プルメ財団を引っ張ってきた。
‐記者を辞めて障害者向けリハビリ病院の運営に専念することになったのは奥さんが突然の交通事故に遭ったのがきっかけだと聞いた。1996年に研修で独ミュンヘン大学の政治学研究所に入った。南北統一問題、つまり東西ドイツの統一経験をどうやって私達の分断状況に適用すべきか学ぶためだった。2年間の研修を終え1998年6月、韓国に戻ってくる前に家族皆でイギリスを車で旅行した。その時に事故が起きた。危険ドラッグを使用したドライバーの車がトランクから荷物を取り出していた妻めがけて突っ込んだ。妻は100日間昏睡状態に陥り、3カ月以上イギリスの病院の集中治療室で治療を受けた。その時にイギリスの国民保険サービス(NHS)について知った。その後ドイツに移ってさらに1年半の間治療を受けながらドイツの医療制度についても知ることができた。イギリスとドイツでどのように患者を治療しているのか、特に救急患者をどのように管理し治療しているのか直に確かめることができた。
ドイツの医師は妻のように重度の障害をもつ患者の場合治療を受け続けなければ骨や筋肉が固くなってしまうため持続的な治療を受けることが大事だと言い、韓国に戻ってからも必ずリハビリを受け続けるよう勧めた。韓国に戻ってからも当然入院できると思ったけれど全くの見当違いだった。当時はリハビリ病院がほとんどなく、一般病院の新村(シンチョン)セブランス病院に空きのベッドがありやっとのことで入院できた。イギリスやドイツで先進医療サービスを受けた後、韓国の劣悪な現状に直面した時はそのギャップを思い知った。なぜ韓国にはイギリスやドイツのような病院がないのかという問題意識が芽生えた。1つくらいそんな病院を建ててみようとその時考えた。
‐ プルメ財団医院、リハビリ病院は全て市民ファンドで成り立っている。今のように経済的に苦しく世知辛い時代においては奇跡同然のことだと思う。資金を誘致するまでたくさんの困難があったのでは。財団を設立するには財産が要る。つまり基本財産が必要となる。財団設立基金はイギリスで交通事故を起こした当事者と8年間に渡る訴訟の末辛うじて支払いを受けた被害補償金20億6000万ウォンのうち10億6千万ウォンを投じて設けた。そして記者の仕事を辞めてからシードマネーを稼ぐため江南(カンナム)駅近くに「10月のお祭り」という意味のハウスビール専門店「オクトーバーフェスト」をオープンした。幸い経営が上手くいったのでその持ち分の10%をさらに投じて財団を設立することができた。財団を通じて障害者マラソン、絵画や写真の展示会などたくさんの活動を展開し基金を集めた。そして2007年、まず最初に歯科クリニックを開院した。歯科クリニックの開院を見て「プルメ財団は本当に信頼できる」と思ってくれる人がだんだん増えた。後援者などからさらに430億規模の基金が集まった。この基金で2016年にはソウル上岩洞麻浦区に大型リハビリ病院「プルメ財団ネクソン子どもリハビリテーション病院」を設立することができた。
‐ この10年間プルメ財団を運営しながら経験した困難とは。病院を設立する時が一番大変だった。「障害者向け施設の設立は国つまり政府がすべき仕事なのになぜプルメ財団が乗り出すのか。なぜ我々(後援者)が寄付をしなければならないのか」と訝しむ人が多く、彼らを説得することが大変だった。「障害者の治療と社会復帰は私たち社会の問題だ」と説得した。
障害者のリハビリ治療は赤字必至の事業だ。障害者の治療は一般人より遥かに長い時間がかかるので1日に治療できる患者の数が限られている。それに比べ施設運営に費やされる人件費、その他の運営費は高いので常に赤字になる。だから他の病院でもリハビリ病院は運営しない。赤字になるから。だとしたら政府がつくるべきなのだがこの十数年間たったの1カ所も設立されなかった。お金がある人は大学病院で高いお金をかけて治療を受けることができるけれど、その他の人は治療を諦めるしかないのが現状なのだ。(治療を受ければ)障害者が社会の一員として働きながら生きていけるのに、ちゃんとした治療を受けられなければ一生母親や家族の重荷になってしまう。障害児をもつ夫婦の半数が離婚してしまう原因もそこにある。適時適切な治療を受ければ働く社会の一員になれるのに施設がなくて治療を受けられないとしたらそれは社会的損失だ。個人的な不幸であるのみならず大変な社会的損失だと思う。プルメ財団は病院を設立して一つのお手本を示し、国が動かないから我々市民の力でこうして作り上げたということを見せつけた。障害者が直面する現実に変化を起こすことが私たちの任務だ。
‐ 実際にこの10年間で変化が見えたのだろうか。障害者に対する認識やリハビリ施設、そして障害者の生活に変化が現れた。
私の妻はイギリスの事故で左脚を失い現在義肢で生活している。娘が小学生の頃妻が車椅子で学校を訪れたことがあったが、娘の友達が「障害者だ」と珍しがったそうだ。その後娘の誕生日にその子達を家に招待した。子供たちに妻の義肢に触ってもらった。それからどうして交通事故に遭ったのかということ、私たちの周りの家族や友達も同じように突然、思いがけず障害者になってしまうことがあるということを教えた。また障害者も一般人と共に生きていけるということ、そして社会の一員になれるということを伝えた。
実際に障害者に対する認識が変化したことを実感している。障害者に配慮し、障害者にとって支障になる床の段差を取り払った建物も多くなった。身体障害者がコールセンターなどで働けるようになり、自閉症患者や知的障害者が働ける機会も最近少しずつ増えている。(障害者が)ずっと暮らしやすくなった。プルメ財団が運営するカフェでも自閉症の若者15人が働いている。お母さんたちが「給与なしでもいいのでどうかうちの子を働かせてほしい。それだけでも私たちにとっては祝福」と言うほど。少しずつではあるが変化は起きていると思う。
ペク常任理事は「障害者の暮らしに変化を起こすためには私たち皆で取り組むという姿勢で一緒に努力していくべきだ」と語る
‐ 障害者のための「より良い社会」を作っていくために今後補うべき点とは何か。法的に重度障害者の医療費助成金額を現在の2倍以上に引き上げるべき。一般人と支給金額が同じなのは問題だ。一般の病院や診療所では障害者の治療が困難で時間も倍以上かかるため障害者の患者を快く受け入れられないし、(今後)専門の病院ができるはずもない。法律で保障すべきだと思う。国が努力しなければいけない。政治的な決断を要する問題だ。全国にリハビリ病院を建てなければならない。
もう一つはプルメ財団の定期後援者が増えてほしいということ。現在約7千人の定期後援者がいるけれど、今の2倍の1万5000人くらいは必要。皆でがんばろうという意気込みで努力すれば財団と病院を支えていけると思う。
- これまで運営してきて胸を打たれた、「この仕事をしていてよかった」と思った瞬間は。
「ミンちゃん」という5歳の患者がいた。ミンちゃんは2歳になるまで立つことも座ることもできず治療を受け始めた子供だった。ある日お母さんが「うちのミンがとうとう歩き始めました」と泣きながら電話をかけてきた。私は電話を切るなり「ミンちゃんが歩き始めたそうだ!」と叫んだ。職員全員が一斉に拍手をして涙ながらに祝った。その光景は本当に感動的なものだった。子供たち皆に奇跡が起こるわけではないけれど、それでも懸命に治療を受けた結果変化が現れたたくさんの子供たちが学校や家庭に戻り、職業までもつようになるその過程は私にとって本当に大きな力になる。
プルメ財団は自閉症の若者と一般の若者が一緒に働く「幸せなベーカリー&カフェ」を5カ所で運営している。写真はソウル鍾路区西村のプルメ財団ビル1階にある「幸せなベーカリー&カフェ」
‐ リハビリ病院の運営の他にもたくさんの事業が進められていると聞いた。2カ所の障害者福祉館を始め重度自閉症の子供を治療するための「アイ(子供)ゾーン」、スポーツ文化センター、職業リハビリテーションセンター、自閉症の若者と一般の若者が一緒に働く5カ所のベーカリーカフェ、知的障害者からなるオーケストラなど様々な活動を展開している。この病院で治療を受けた障害者に、世の中に出て何をして生きていくのかを真剣に考え練習してもらう、それがプルメ財団の仕事だと思っている。
‐ 今後の計画は。近々障害者が働けるベーカリーカフェをさらに2カ所オープンする計画だ。彼らが生きていけるようどんな仕事場をつくるべきなのか、絶えず考えることが私たちの課題。プルメ財団の病院に入院する子供患者の3~4割が地方から来ている。子供が治療を受ける間、両親や他の兄弟とは離れ離れになってしまう。月に1度くらいしか会えなくなり疎遠になる。もし家の近くに入院治療が受けられる病院があるとしたらたくさん費用をかけてソウルまで来る必要もないし、家族と離れて暮らすようなこともない。地方ごとに障害児童向けのリハビリ病院が少なくとも1カ所くらいはないといけない。それは国の責務だと思う。地方自治体の長と中央政府が協議して努力すればいくらでもできる。そして障害をもつ子供たちが将来何をして生きていけばいいのか、家族の重荷ではなく独立した存在として生きていけるよう助けることも大事だ。そのためには彼らの仕事場がないといけない。どんな仕事場をどうやって作っていくべきかじっくり考えなければならない。
地方ごとに1カ所のリハビリ病院を設けること、そして障害をもつ子供や若者が一生自分の力で生きていくために好きで上手にできる仕事を作り出せるよう助けること、それがプルメ財団の目標だ。
コリアネット ソン・ジエ記者
写真:チョン・ハン記者
翻訳:イ・スミン
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