社会

2014.05.22

忠清南道の西海岸には、へこんだ地形をした「内浦」という地域がある。「内浦」は、「海か湖が陸地に食い込んでいる」という意味だ。満ち潮になると船が入ってくる挿橋川の水路を活用してコメや商品などの貿易が行われた。忠清南道西北部の唐津郡や礼山郡、洪城郡、瑞山郡などを包括する内浦地域は、韓国カトリック発祥の地であり、最も多くの殉教者が出た場所だ。8月に聖人の前段階である福者の称号が与えられる殉教者124人のうち49人が内浦出身だ。

フランスの聖職者らは、海路からこの地域に入り、カトリックの教理を伝えた。19世紀、内浦一帯の100世帯のうち80世帯以上がカトリック信者だったといわれるほどカトリックが広まり、迫害を受ける過程で多くの殉教者が出た。第7代朝鮮教区長のブラン(Marie Jean Gustave Blanc)主教の1884年の報告書には、「ここはかつてないほどの残酷な迫害が行われた場所」と綴られている。 

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솔뫼성지는 한국최초의 신부 김대건의 생가가 있는 곳으로 증조부, 부친을 비롯해 4대에 걸친 순교자를 배출했다. (사진: 전한)

ソルメ聖地には韓国最初の神父、キム・デゴンの生家があり、曽祖父や父親など4代にわたる殉教者を出した(写真:チョン・ハン記者)



忠清南道唐津郡のソルメ(Solmoe)聖地には、韓国人最初の聖職者であるキム・デゴン(Kim Dae-gun、Andreae)神父の生家がある。「ソルメ」とは、「松の木が生い茂った小さな丘」だ。彼の曽祖父のキム・ジヌ(Pius)、曽祖父のキム・ジョンハン(Andreae)、父親のキム・ジェジュン(Ignatius)と、4代にわたる殉教者が住んでいた場所だ。この家系だけで11人もの殉教者が出た。

1836年、当時16歳のキム・デゴンはフランス人のモバン(Maubant)神父から洗礼を受け、チェ・ヤンオプ、チェ・バンジェとともに半年間も歩いてマカオに留学する。上海でフェレオル(Jean Joseph Ferreol)主教から聖職者の称号を与えられ、韓国最初の神父となった。1845年にフェレオル主教、ダヴリュイ(アン・ドニ、Marie Nicolas Antoine Daveluy)主教とともに帰国して精力的に宣教活動を展開し、現在のシンリ聖地である校友村を訪問した。1846年に主教の指示で宣教師を迎え入れるための新たな通路を開拓しようと、白翎島で清の漁船と接触しているときに黄海道の巡威島で官憲に逮捕され、ソウルに護送される。キム神父は、監獄からフェレオル主教と校友らに送った手紙で、「キリストの御名のために縛られ、キリストの権能を固く信じています。酷い刑罰に最後まで勇敢に耐えられるよう、神様が助けておられることをお祈りします」と自身の意志を伝えた。

キム神父は朝鮮時代の1846年9月16日、ソウルの死刑執行場で絞首刑に処された。聖職者になってわずか1年1カ月目で、25歳だった。彼は殉教する直前に「私は主のために死にます。でも、これは永遠の命が私に始まることです」という遺言を残した。

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(위) 김대건 안드레아 신부의 동상. (아래) 8월 프란치스코 교황의 방한을 앞두고 솔뫼성지에 교황의 사진이 걸려 있다. (사진: 전한)

(上)キム・デゴン・アンドレア神父の銅像 (下)8月のフランシスコ法王の来韓を前に、ソルメ聖地に法王の写真が掲げられた(写真:チョン・ハン記者)



カトリック大田教区は、1996年に「キム・デゴン神父殉教150周年記念事業」として生家を復元することを決め、2004年に生家の奥の間を復元した。ソルメ聖地には、キム神父の銅像や記念聖堂、記念館、ソルメ・アレーナ(野外劇場)などが設置されている。記念館にはキム神父直筆の手紙や日記、1845年に彼が描いた朝鮮全図や肖像画などが展示されている。朝鮮全図は、フランスの地理学界を通じて世界に朝鮮が知られるきっかけとなった。キム神父は英語、フランス語、ラテン語、中国語が流暢だったといわれているが、手紙はラテン語、日記は中国語で書かれている。22点の手紙と日記は貴重な列福の資料となった。8月にはソルメ聖地で第6回アジア青年大会の開幕ミサが開かれ、そこでフランシスコ法王と若者たちが交流する予定だ。

ソルメ聖地のイ・ヨンホ・パウロ主任神父は、「韓国最初の神父で聖人であるキム神父は、階級社会の朝鮮で全ての人の平等と信仰の自由の実現を目指した思想家だった。神様の前で万民は平等だという主張は、奴隷制度の廃止を訴えるもので、朝鮮社会にとって大きな脅威だった」と説明した。また、「キム神父は、朝鮮後期最初の留学生として時代的状況に対する理解が深かった。彼が殉教を前に書いた手紙には自分の死を悲しまないでほしいと書かれているが、信者たちはこれを何度も書き写して暗記した」と話した。

東ソウルターミナル(一日2回)と南部ターミナル(一日6回)から、それぞれソルメ聖地へ向かうバスが運行されている。詳細は、ソルメ聖地のホームページ(http://www.solmoe.or.kr/home/)または電話(041-362-5021~2)にお問い合わせください。

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(위) 복원된 김대건 신부의 생가. (아래) "김대건 신부가 평등과 신앙의 자유를 꿈꿨다"고 설명하는 솔뫼성지의 이용호 바오로 주임 신부. (사진: 전한)

(上)復元されたキム神父の生家 (下)「キム神父は平等と信仰の自由の実現を目指した」と語るソルメ聖地のイ主任神父(写真:チョン・ハン記者)


내포 천주교 성지의 지도

内浦のカトリックの聖地の地図




コリアネット イム・ジェオン記者
jun2@korea.kr