チェ・シンヘ(崔臣海)ハンヤン楽器代表は「世界どこへ行っても楽園商街のように、多様な楽器を一ヵ所で見られる場所はない」と言いながら、楽園商街の魅力を強調した。
[ソウル=ユン・ソジョン、キム・ウニョン]
[写真=ゾン・ハン]
英語で「パラダイス(Paradise)」という意味の「楽園」。
その単語が象徴するように「楽園商街」は音楽と楽器のパラダイスだ。
交響楽団、ロックバンド、DJのミキシングのための音響装備など、どんなジャンルであろうと、小学生から専門音楽家に至るまで必要な全ての楽器が集大成されているところが、鐘路にある楽園商店街だ。
1969年から仁寺洞と雲峴宮の間にある楽園商店街は、当時、初の住商複合建物であり、ランドマークだった。
様々な商店があった楽園商店街が現在の楽器専門商店街に変身したのは、1980年代に入ってからだ。1970年代から続いた若者たちのギターへの愛着と楽器に対する情熱は、楽器商店の爆発的な増加と専門化へ繋がった。
新たにチェロの修理を頼まれた崔臣海代表は、客から問題点を聞いたとたん、職人の目つきに変わった。
1976年、楽園商店街に位置する「ハンヤン楽器」もオープン当初、楽器や音響装備を一緒に扱う楽器商店だった。1990年代に入ってから弦楽器修理専門楽器店に変貌した。
2001年、父親の後を継いでハンヤン楽器の責任者となった崔臣海代表は「子供から専門オーケストラまで、皆のための楽器が全部揃っているのが楽園商店街の魅力」とし、「(楽園商店街という)小さい空間でオーケストラの構成も可能だ」と述べた。さらに、「どんな楽器でも楽園商店街で手に入れられない楽器は、外国でも手に入れにくい」と付け加えた。
7年という短くない時間を楽器の調律を学ぶために、イギリスで過ごした崔代表は「幼いころ、楽器を購入した学生たちが大きくなって、子供のための楽器を買いに来たり、父の代のお客さんたちがお店を訪ねて来て、先に声をかけてくれる」とし「(ハンヤン楽器を訪れたお客さんは)お客さんではなく、家族」とし、老舗専門楽器店の信頼と強みをほのめかした。
崔臣海代表は楽園商店街では、その名に相応しく楽器を楽しむことができると強調した。
「子どもの音楽教育のために親も多く訪れている」とし、楽園商店街の別の魅力を強調した崔代表は「音楽教育に対する考え方が、昔は音楽家を育てるためのエリート中心だったが、今は誰でも気楽に楽しめるものへと変わり、楽器価格も合理的になった」とし「(それによって)楽園商店街を訪れる人々が増えた」と付け加えた。
eykim86@korea.kr