全羅南道・珍島郡の鳴梁海戦路海域の第4回水中発掘調査で発見された高麗青磁
国立海洋文化財研究所が今年4月から約6カ月間に渡って実施した全羅南道(チョンラナムド)珍島郡(チンドぐん)鳴梁海戦路海域での第4回水中発掘調査が15日に完了した。今回の発掘調査では130点余りの遺物が追加発掘された。
珍島の鳴梁海戦路海域は潮流が速く船舶が通りにくい険路ではあるが、海上の近道として知られ昔から多くの船舶が行き来していた。とくにこの海域は1597年、李舜臣(イ・スンシン)将軍の率いる朝鮮水軍の船舶13隻が300隻以上の日本水軍を退けた「鳴梁海戦」の現場、鬱陶項(ウルドルモク)から約4kmしか離れておらず、関連遺物から激戦の跡を確認できる場所でもある。
鳴梁海戦路海域の水中発掘調査で発見された石丸(上)の2点と引き金を引いて矢を放つ武器の弩(引き金の部分)
第4回調査で最も多く発見された遺物は色の状態が良く、華麗な飾りと文様をもつ最高級の高麗青磁。器・杯・油びんなどがあり、白磁と陶器も発掘された。1・2回目の発掘調査で発見された4点の石丸に次いで今回も2点が追加発掘された。他にも引き金を引いて矢を放つ武器の弩(引き金の部分)は2013年に次いで2度目の発見となり、鳴梁海戦路海域の一帯がかつて激戦地であったことが改めて確認された。
鳴梁海戦路調査海域の一部区間での引き揚げが集中した「碇石」
調査海域の一部区間では木製のいかりをしっかり沈めるために括り付ける石の「碇石」が54点も発見された。国立海洋文化財研究所は多数引き揚げられた碇石が、鳴梁海戦路の海域が船舶の停泊地の役割を果たした証拠だと話す。とくに中国風の碇石1点が発掘されたのは珍島の碧波港(ピョクパハン)が忠清南道(チュンチョンナムド)泰安郡(テアンぐん)馬島(マド)とともに韓日中国際交流における中間経由地であることを裏付ける資料だと見ている。
コリアネット イ・ハナ記者
写真:文化財庁
翻訳:イム・ユジン
hlee10@korea.kr