【文・写真=岡本美砂】
2018年8月家族旅行で対馬を訪れたことがきっかけで、翌2019年3月に一家4人で韓国から対馬に移住した鈴木純(すずき・じゅん)さん。厳原町で「対馬STORY」を設立、韓国文化体験プログラムや韓国語レッスン、対馬の歴史・観光ガイドを行っています。特別な所縁や知人がいたわけでもなかった鈴木さんが、どのような経緯でこの島に移り住むことになったのでしょうか。対馬の魅力を体感するため、初めて対馬を訪れ、お話を伺いました。
【2度の留学を経て韓国に定住】
鈴木さんが最初に韓国を訪れたのは、1994年、1カ月の語学留学だったといいます。その後も韓国短期研修を重ねながら留学の準備を進め、1998年に念願の留学を果たします。韓国最難関といわれるソウル大学の大学院で韓国の古典文学を学び、卒業後は帰国して故郷・新潟で韓国語を教えたり通訳したりしていましたが、きちんと韓国語を学ぶ必要性を感じ、「通訳翻訳」を学ぶため、改めて2006年に梨花女子大学の通訳翻訳大学院に留学します。修士号を取得した後、日本語教師としての職を得たのが韓国大田にある又松(ウソン)大学でした。ここで観光学部の教授だった李勇澈(イ・ヨンチョル)氏と知り合い、後に結婚、2人の子どもにも恵まれます。大学で教える傍ら、通訳の仕事もこなし、このまま韓国で暮らす考えでいた鈴木さんですが、突如体調を崩してしまいます。
韓国での研修指導=鈴木純氏提供
【対馬との出会い】
「対馬は自然が豊かでいいところだよ。何より韓国に近いし」。そう言って対馬への旅行を薦めてくれたのは、ご主人の友人のお兄さんでした。そうして2018年8月に対馬を訪れた鈴木さんは、手つかずの自然、大陸との関わりの深い島独自の歴史、人々の「情」に魅了されたそうです。「落ち込んでいる人を見ると、そっとしておいてあげようとするのが日本人の優しさですが、韓国人は『どうしたの? 何かあったら言って』と声をかけてくる『多情』が特徴。対馬の人はその『情』が日韓ちゃんぽんされていて、それが自分にはとても居心地がよかったのです」。
ご主人もまた自身の専門である観光学の視点から対馬が気に入り、長崎県が離島移住振興を積極的に行っていることもあり、様々な支援を受けながら、地域の方には韓国語の通訳や翻訳、観光客へは日本文化体験や宿泊業で生計を立てていけるのではないかと考え、訪問からわずか半年で、対馬への移住という新たな一歩を踏み出しました。移住を決めた時のことを鈴木さんはこう振り返ります。「私たちは2人で同時に対馬が気に入りました。夫も私も日本で暮らそうと思っていなかったので、こんなに2人の気持ちが一つになったのは『対馬の神様に呼ばれた』からだと思っています」。
【対馬STORY設立】
2019年3月に正式に対馬に移住をした鈴木さん一家ですが、ご主人も2人のお子さんも海外生活は初めて。日本語も不自由な子どもたちを島の人々に受け入れていただくために、1カ月間毎日、お子さんを連れて挨拶をし続けたそうです。お子さんはこれまで韓国で生活をし、アイデンティティは韓国にあることから、学校でも自然な形で文化交流させたいという思いから、韓国名で通学、お弁当にはキムパ(韓国風海苔巻き)を持参させて、多文化共生を肌で感じてもらえるようにしたといいます。実際、鈴木さんのような日韓家族は対馬にも何組かおり、古くから韓国とのつながりが深い島ということもあり、溶け込むのに、それほど時間はかかりませんでした。
当初暮らしていた「移住お試し住宅」の期限が2カ月間と決められていたため、定住先を探していたところ、「対馬に行くなら」と紹介をされたのが、NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会の理事長で、対州海運の社長(現在は会長)である松原一征(まつばらかずゆき)氏。松原氏の従弟から現在の厳原の物件を紹介され、10月9日「ハングルの日」に対馬STORYは正式にオープンの運びとなりました。
2019年10月対馬STORY設立=鈴木純氏提供
ところが、2020年1月に国内で新型コロナウイルス感染が発生、3月には対馬―釜山の定期高速船航路も閉鎖、ピーク時の2018年には年間41万人訪れていた韓国からの観光客がゼロになり、観光の島、対馬を取り巻く環境が一変します。
そこで鈴木さん夫婦はコロナ禍の中だからこそ、対馬の観光事業者や住民たちが今のうちに観光客を受け入れるための準備をするお手伝いしようという方向に動き始めます。宿泊業の方向けに、対馬の歴史や文化等を知るための「対馬学」や「韓国語講座」を、韓国語を学びつつも渡航ができない対馬高校の学生には「韓国文化体験プログラム」を、地域の方には「韓国料理教室」を提供、韓国人宿泊業の方にも「対馬学」や「日本語講座」も行ない、多文化共生を感じてもらえる機会を作ったのです。ご主人が観光学博士ということもあり、オーバーツーリズムを人の手でいかに解消するか等観光に関するコンテンツを次々と提案していきました。文化体験や語学講座、料理教室などの各種プログラムは一般の方や観光客にも公開している他、 昨年からは対馬市や対馬市国際交流協会と協力して、対馬市内の小学生を対象に「朝鮮通信使について知る、調べる」体験プログラムとして絵画展を開催しています。
2022年対馬高校研修=鈴木純氏提供
取材した時は、ちょうど対馬高校の学生5名が「韓国文化体験プログラム」のワークショップを受講している最中でした。対馬高校は「全国の公立学校で、唯一韓国語を専門に学べる」国際文化交流科があり、参加していた5名は、いずれも今春から韓国語を学び始めた1年生。私も一緒に韓国伝統衣装であるチマチョゴリを着て写真を撮ったり、万松院を通じて対馬 宗家と韓国との歴史について説明を受けたりしながら、「韓国文化体験プログラム」の一端を体験させていただきました。対馬の将来を担う若い人たちが、隣国の文化を体験し、朝鮮通信使に代表される、対馬における交流の歴史を学ぶことは、後々大きな力になると感じました。
2023年10月「日韓文化体験プログラム」の様子=岡本美砂撮影
【対馬で叶えたい夢】
私が対馬を訪れた2023年10月時点での対馬の人口は27905人。世帯数は14683。人口がピークだったのは、1960年の69556人。島内旧6町が合併し、対馬市となった2004年3月時点で40592人となっていましたが、その後も人口減少が続き、現在は3万人を切っています。
「対馬には高校までしかないので、子どもの進学のために、一家で島を離れてしまう家族が多いのです」と鈴木さんはいいます。そして、今後の夢として次のように語ってくれました。「高校を卒業してから学べる、専門学校や大学、日本語学校を島の人と協力しながら作りたいと考えています。社会福祉や介護福祉を学べる専門学校を作れば、雇用も生み出せます。日本語学校を併設することで、海外からの実習生の研修を行うこともできます」。まずは、学びの楽しみを体感できる市民大学から始める計画で、「私も先生、私も生徒」という生涯学習の場を作りたいと考えているそうです。長年、教育に携わってきた鈴木さんにとって、自分の経験を島に還元する方法を教育に見出したのは自然な流れだったかもしれません。
そして、地元の人々の協力を得ながら学びの場作りを進めたいという強い思いには、市民ミュージカルの存在がありました。対馬には市民劇団があり、ジェームス三木氏が脚本を手掛けたミュージカル「対馬物語」は、初代対馬藩主、宗義智(そう・よしとし)が日朝の板挟みになりながら、朝鮮通信使の来島を実現させるまでの波乱の生涯を描いた作品で、これまで、対馬をはじめ、福岡や東京、韓国釜山でも公演実績があります。鈴木さん家族もメンバーとして参加しており、対馬での仲間づくりに大いに役にたった他、子どもたちが対馬の歴史や朝鮮通信使に関心を持つようになったといいます。
2021年「対馬物語」鈴木さんご一家=鈴木純氏提供
「暮らして実感した対馬の魅力をもっと多くの人に伝えたい、自分の経験を、対馬に還元したい」そう鈴木さんは語ります。対馬移住直後から対馬STORYプレオープンまで地元長崎文化放送の「シマでみつけたタカラモノ」が取材に訪れた他、昨年対馬―釜山定期高速船航路が再開された折、NHKの取材を受け、その放送が「おはよう日本」や「NHK WORLD」で紹介されると、韓国KBSの「人間劇場」の製作スタッフから取材のオファーを受ける等、日韓双方でその活動は注目されています。
主催する「韓国料理教室」が好評で、「売ってほしい」という声が多いことから、今年7月に韓国料理のテイクアウトの店をオープンする計画だといいます。日韓交流を目的とした「文化体験」が発展し、講座に通う人だけでなく、島の人々が気軽に購入できる店を開くことで、多文化共生が浸透していく……。新型コロナウイルスを含め、対馬に移住してから、相次ぐ予期せぬ出来事に対して、常に前向きに乗り切ってきた鈴木さん。そこには、かつて体調を崩し、苦悩していた面影はありません。「国境の島」対馬に居場所を見出した鈴木さんたち対馬STORYの今後に、これからも注目していきたいと思います。
*この記事は、日本のKOREA.net名誉記者団が書きました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。
hjkoh@korea.kr