韓流がブームだ。K-POPだけでなく料理・ファッション・ビジネスなど多岐にわたって韓国が注目を集めている。これに大きく貢献しているのが各国のコリアン次世代だ。彼らは現地で生まれ育ち、現地の文化に慣れ親しんでいると同時に、韓国のDNAを持っているため、韓国を発信することにも熱心だ。海外文化広報院のコリアネットと連合ニュースは、各国で主流社会に入り活躍し、韓国人の地位を高め、ひいては韓国と居住国の間で架け橋の役割をしている人物を取材するシリーズを企画した。
国楽名人、在日コリアンのミン・ヨンチ氏 = ソウル、イ・ジュンヨン
[ソウル=KOREA.net コ・ヒョンチョン、聯合ニュース カン・ソンチョル]
「1番は良いのはやっぱり伝統国楽。フュージョン国楽にチャレンジするのは伝統を発信するためだ」
30年間、日韓両国を行き来しながら国楽の演奏活動をしてきた在日コリアンの閔栄治(ミン・ヨンチ)氏が1日、コリアネットと連合ニュースが共同で行ったインタビューで伝えたメッセージだ。
大阪で生まれた彼は、中学卒業後に韓国に渡り、国立国楽高校とソウル大学の国楽科を卒業した。大学時代、第2回世界サムルノリコンテストに出場し、チャングで金賞を取り、翌年には東亜日報が主催したコンクールに出場し大笒(テグム)で3位を獲得した。多数のコンテストに入賞し実力を認められた彼は、卒業後には国楽団に入団することもできたが、別の道を選んだ。
新しいチャレンジと自由な作品活動を選んだ彼は、現在「新韓楽」を発信している。新韓楽は、彼が国楽とジャズを融合させるために起こしたプロジェクトだ。
時代のトレンドを反映したフュージョン国楽を伝播しながら、それを通じて国楽の継承を望む国楽名人ミン・ヨンチ氏にインタビューを行った。
「新韓楽×トライソニク」公演を終えて記念写真を撮っているミン・ヨンチ氏(左から3番目)=2015年12月2日、日本・東京、ミン・ヨンチ
- 国楽の道を歩むようになったきっかけは何か。
父は叶えられなかった音楽の夢のため、自身の子どもを全員アーティストに育てた。家では常に、自然に音楽に触れられるような環境だった。狭い家は父が集めたスピーカーであふれ、姉はカヤグム、兄は笛、妹は韓国舞踊を専攻した。もし家が広かったら、それだけ様々な楽器の音色を耳にすることは難しかっただろう。日本で在日コリアンは多文化にあたるが、これは可能性であり競争力だと思う。現在、梨花女子大学校と秋季芸術大学校で韓国人の学生たちを教えているが、機会があれば在日コリアンの学生たちも韓国に連れてきて、日韓両国の文化に精通したハイブリッドの国楽人に育てたいと思う。
- 新漢楽はフュージョン国楽だが、フュージョンにチャレンジした理由は何か。
国立国楽高校とソウル大学国楽科を卒業したが、幼い頃はブラスバンドでドラムを叩いたりもしたので、私の頭の中には西洋音楽と国楽が両方ともインプットされている。大学卒業後、国楽団から入団のお誘いもあった。安定した環境もいいが、どうしても東洋と西洋の音楽の融合に挑戦してみたくてフリーランサーの道を選んだ。国楽はまるで濃いチョングッチャン(納豆チゲ)のようでクセになるが、初心者にはテンポが遅すぎて難しい芸術なので、簡単にはハマりにくい。そのため、現代の若い人にも国楽の魅力を感じてもらえるように、いろいろと工夫してみた。PSY、申海澈(シン・ヘチョル)、李文世(イ・ムンセ)、カンサネ、DJ DOC、ルーラ、Panicなどの大衆歌手はもちろん、鄭明勳(チョン・ミョンフン)、鄭明勳(チョン・ミョンファ)、曺秀美(チョ・スミ)、梁邦彦(ヤン・バンオン)などトップクラスの演奏者たちと協力して国楽をフュージョンで披露した。
- 国楽活動をしながら在日コリアンとして辛かったことはないか。
私は2つのアイデンティティを持つマージナルマンとして生きてきた。韓国と日本のどちらにも完全には属さない在日コリアンのアイデンティティのおかげで、他の音楽との交流がむしろ自由に感じられた。アイディアや挑戦といったことが、周りにはむしろ斬新に見え、良い反響があったようだ。
「WOMAD(ワールド・オブ・ミュージック&ダンス)」でチャングを演奏しているミン・ヨンチ氏=2012年3月、ニュージーランド・ニュープリマス、ミン・ヨンチ
- 海外ではどのような公演が人気か。
海外ではフュージョンではなく、本物のオリジナルが評価される。彼らはオリジナルの国楽演奏を望み、国楽の雄大さに熱狂する。宗廟祭礼楽(チョンミョ・ジェレジェアク)やシナウィ公演をすると、外国人は何時間でも一生懸命鑑賞し、公演が終わったら立ち上がって拍手を送る。彼らは決して国楽を退屈しないし、居眠りもしないのだ。国楽こそ、彼らが決して真似できない私たちの「オンリーワン」だからだ。日本の伝統劇である能などの海外公演は、数カ月前から売り切れになるほど大人気だ。海外では歌詞が中心である公演より、踊りや楽器の演奏のほうがはるかに反響がある。歌は、歌詞を字幕で表示しても、伝わるのに限界がある。また、歌唱法が少し違ったとしても、すでに似たような歌が存在する場合があるからだ。
- 今までで1番記憶に残っている公演活動は。
米国・デンバーで開かれる「韓国養子キャンプ」に1996年から2011年まで参加し、サムルノリの公演を13回も行った。初めてデンバーに行った時に、「私をカバンの中に入れて韓国に一緒に連れて行ってほしい」と泣きながら私の足にしがみついてきた子供たちが、どうしても忘れられない。アジア人のおじさんがアメリカまでやって来て、韓国人のDNAが刻まれた国楽を聞くことで、白人社会の中で生きながらも、常に気にしていた自分のルーツに触れられたように感じたのだろう。国楽にはルーツとアイデンティティに自負心を持たせる力がある。伝統の韓国の音を聞いて、大喜びする子供たちを見るたびに国楽をやって本当に良かったと思う。
- 観客たちにお願いしたいことは何か。
偏見をゼロにして、100%オープンマインドになって芸術を楽しんでほしい。アーティストたちは競争しない。ジャンルがお互い違っても、一緒に良い作品を作り上げ、人々の心をより豊かにするための努力をする。
- 今後の公演計画は。
12月にはソウルで「世界に響くアリラン」という公演を、来年4月には大阪韓国文化院25周年を迎え、大阪のザ・シンフォニーホールで国立国楽院創作団と共演する。今までは、伝統を広く知らせるためにフュージョン共演を行ったり、いろいろな工夫や挑戦をしてきた。だが、私も50才を過ぎ、本当にやりたかった「オリジナル伝統」をやってもよい時が来たのではないかと思う。それで来年10月には、サムルノリを実質的に率いてきた金徳洙(キム・ドクス)先生を招待して東京で公演を行い、11月には韓国の国楽と日本の能の創作舞台で福岡、大阪、東京、ソウルを回るツアーを計画している。公演場を訪れた観客たちが、国楽の魅力にどっぷりハマって何度も公演に足を運んでくれるように、また国楽人たちが音楽活動だけでもちゃんと食べていけるようにに、アルバムおよび著作権市場の活性化にも力になりたい。
国立能楽堂で開かれた「忘恨歌」の公演でテグムを演奏しているミン・ヨンチ氏(中央)=2019年4月20日、日本・東京、ミン・ヨンチ
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