27日、韓国コメディー界の父、ク・ボンソ(90)氏が笑いと感動を残し他界した。
故ペ・サムリョン氏、故ソ・ヨンチュン氏と共に韓国コメディー界の第1世代を象徴する彼は「私が死んでも支援を断つな」という遺言を残した。彼はこの37年間、慶山北道聞慶(キョンサンホクド・ムンギョン)の「信望(シンマン)愛育園」への支援を続けてきた。故人の支援は、1954年の「信望愛育園」設立以来最初で最長の支援記録。
故人が残した足跡は、コメディアンらにとって「お手本」そのものだった。
多くの国民が未だに思い出しては笑いをこぼしてしまう彼の代表作『笑う門には福来たる(MBC)』に、彼は1969年8月の初放送から1985年4月の最終回までの計786回にすべて出演した。また、彼はコメディー番組の他に、今も多くの人が記憶する『お兄さんが先、弟が先』でよく知られるラーメン広告を始め数多くの広告に出演したほか、980編のラジオ番組にも出演した。映画では1956年の『愛情波』に主人公役でデビューして以来、『オさん親子(1958)』、『密陽(ミリャン)アリラン(1961)』、『黄金馬車(1970)』、『お兄さんが先、弟が先(1980)』などの作品で活躍した。特に『修学旅行(1969)』は「テヘラン国際児童映画祭」で作品賞を受賞した。
27日、韓国喜劇の歴史をつくってきたク・ボンソ氏が享年90歳で他界。写真は2013年「大韓民国大衆文化芸術賞」で銀冠文化勲章の受賞感想を述べる姿
1926年に平壌で生まれた故ク・ボンソ氏は、1945年、「太平洋歌劇団」に楽師として入団し喜劇俳優としての道を歩み始めた。厳しい父から「3日間だけ」との許しを受けて始めた仕事が彼の天職となった。楽師として仕事をしていたある日、俳優が不在で遅れた開演に抗議する観客を宥めようと偶然舞台に上がるが、終始観客を笑わせる。このことがきっかけで楽師から喜劇俳優になったと生前彼は明かしていた。
ク・ボンソはペ・サムリョン、ソ・ヨンチュンと共に1960~1980年代の韓国コメディー界をリードした。写真は1980に上映された映画『お兄さんが先、弟が先』のポスター。左からク・ボンソ、ペ・サムリョン、ソ・ヨンチュン
故人は生前、自身の代表作となった『笑う門には福来たる』について「お腹が空いて辛かった時代、みんなに笑いを贈ることができたのだから私は何と言っても幸せ者。みんなが爆笑しているのを見るのが一番好きだ」と話していた。彼は「コメディーは私の運命。コメディーをやっていて、本当にいっぱい笑った」と多数のインタビューで強調している。
今や伝説となった同氏は、最期の道を目前にして後輩コメディアンたちへの思いやりを惜しみなく見せてくれた。「懐事情がよくない後輩がたくさんいるから、弔慰金は絶対に受け取るな。ただおいしいご飯でも食べて楽しんでほしい」とした彼は、自分の葬儀が喜劇人たちのための楽しい場になってほしいと願った。
コリアネット チョン・ハン記者
写真:聯合ニュース
翻訳:イ・スミン
hanjeon@korea.kr