西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の爆発によってローマ帝国の都市ポンペイは一瞬にして廃墟と化し、逃げ切れなかった住民は高さ3.7メートルの火山灰の中に埋まった。ナポリ近郊のローマの港町だったポンペイは、西暦1世紀には人口約2万人の都市だった。しかし、火山の爆発後、この都市は当代の記録に残されただけで、少しずつ人々の記憶の中から消えていった。
1738年、井戸を掘っていたある農夫がこの都市の遺跡を発見することで本格的な発掘が始まり、円形競技場、2つの劇場、商店と住宅が網の目に立ち並ぶ街、フレスコ画、数多くの壁画が発見された。突然にして人生の幕を閉じたポンペイ市民の姿もあった。
展示「ローマ帝国の都市文化とポンペイ」では、当時の華やかな壁画を鑑賞することができる
2千年前に姿を消したポンペイが蘇った。12月9日~来年4月5日に国立中央博物館で展示「ローマ帝国の都市文化とポンペイ」が開かれる。同展示では、ポンペイで出土した彫刻品や装身具、壁画、キャスト(火山灰の中の空間に石膏を入れて当時の人々の姿を再現した石膏像)など、298件の様々な遺物が公開される。
紀元前80年にローマ帝国に吸収されたポンペイは、都市の所々が再整備され、神殿と公共の建物、大邸宅が建設された。紀元前70年に建てられた円形競技場では剣闘士競技が、大劇場では演劇公演が行われた。
円形競技場で行われた剣闘士競技に使われていた青銅の兜
ポンペイの大邸宅は、入口を入ると家の内部が見えるよう設計されていた。家は屋根のない庭園を中心にその左右に部屋が配置されていた。各部屋の壁には、神話をテーマとした絵が描かれていた。家の内側の庭園には、水道施設とつながった噴水と彫刻品が設置されていた。
同展示では、家の内部の壁を装飾していた壁画が一挙に公開される。花、木、鳥のいる庭園が描かれた絵画、神話の中の場面と柱が描写された壁画からポンペイ市民の造景感覚を垣間見ることができる。
ポンペイの大邸宅と街の所々に立てられた彫刻像
ポンペイの人々は、ギリシャの神だけでなく土着神も崇拝していた。ポンペイ広場には、ジュピターとその妻であるジュノやミネルヴァ、ビーナス、バッカスなど、様々な神の神殿が都市の所々に建てられていた。家の中にも祠堂をつくって祝福を祈願するほど、宗教儀式が暮らしの中に深く根づいていた。また、都市の所々に立てられていた彫刻像の中から、今回の展示では餌を捕まえる動物の彫刻像を観賞することができる。
ポンペイで発掘された子どもの彫刻像
酒の神であるバッカスの青銅像
女性の装身具は種類が豊富だったが、男性の装身具は指輪しか許されていなかった。カチューシャ、金でできた網の装飾、いろいろな形のヘアピンのほか、首飾りや腕輪、指輪なども発見された。
当時、ポンペイでは活発な経済活動が行われていたが、都心の繁華街にずらっと立ち並んだ商店で売られていたパンやワインを入れた甕や、秤と錘などが発見された。ポンペイ遺跡で確認されたかまどやパンのかたまりから、当時も現代と同じような方法で作られていたことがわかる。
ポンペイで発見された様々な装身具
ポンペイで発掘されたヘビを象った腕輪
ポンペイでは近代的な形態の手術道具が発見され、当時の医療技術がかなり発達していたことを知ることができる。いくつかの手術道具は、現在も使用されているほど精巧につくられている。
ポンペイの都市の城壁の外郭では多くの墓が確認された。街の中に墓をつくることが法で禁じされていたからだ。遺体は埋葬するか火葬し、遺骨は壺に収めた。
ポンペイで使用されていた手術道具
ポンペイ市民の最後の姿も見ることができる。座りこんで口と鼻を手でふさいでいる男性、服で顔を覆ったまま伏して死んでいる女性、家の中につながれ苦しそうに死んでいった犬の化石は、当時のポンペイの悲惨な最後を物語っている。
火山の爆発で犠牲になった動物と人の形像
ポンペイ火山爆発当時、座りこんで口と鼻を手でふさいだまま死んでいる男性の姿
展示「ローマ帝国の都市文化とポンペイ」に関する詳細は、電話(02) 2077-9000、または国立中央博物館のホームページ(www.museum.go.kr/site/main/index002)までお問い合わせください。
コリアネット イム・ジェオン記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者、国立中央博物館
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