イタリア・ミラノのファッション界で精力的に活動する韓国人の男性モデルがいる。韓国ではそれほど知られてはいないが、海外で活発に活動するソン・ヨンさん(27)だ。
2012年にジョン・ヴァルヴァトスファッションショーでイタリア・ミラノのファッション界にデビューしたソンさん(写真:チョン・ハン記者)
ソンさんは、2012年にミラノ・コレクションのジョン・ヴァルヴァトス(John Varvatos)ファッションショーに出演し、ファッションの本場ミラノでのデビューを飾った。
それ以来、2013年のミラノでのスプリング・サマー(S/S)及びフォール・ウィンター(F/W)コレクションで、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)やエンポリオ・アルマーニ(Emporio Armani)、ディーゼル(Diesel)、ジョン・リッチモンド(John Richmond)といった有名ファッションブランドの舞台に立った。特に、アジア人として初めてディーゼルのファッションショーに出演したモデルとなった。
昨年イタリア・ミラノで開かれた「2013 F/Wミラノファッションウィーク」の「エンポリオ・アルマーニ」(左)と「ジョルジオ・アルマーニ」(右)のファッションショーの舞台でキャットウォークを歩くソンさん(写真提供:ドラゴンハート・グローバル)
イタリアファッション界の巨匠ジョルジオ・アルマーニ氏(中央)や世界各国のファッションモデルたちとともにポーズをとるソンさん(前列右から2人目)( 写真提供:ドラゴンハート・グローバル)
ソンさんは、ソウルコレクションや一流ブランドのファッションショーなど韓国で開かれる多数のファッションショーに出演しているほか、多くのファッション雑誌にも登場している。
コリアネットは、韓国とイタリアを行き来しながら活動するソンさんにミラノでの活動について聞いた。
ポーズをとるソンさん(写真:チョン・ハン記者)
1.ミラノコレクションやディーゼル、アルマーニなどモデル界で最大の難関といわれるイタリアの舞台にも出演した。オーディションを受ける前から合格するまでの経緯は。
韓国と同様にどの国にもエージェントがある。ミラノの舞台に立ちたければ、ミラノに行くのではなく、まず韓国でその国の優秀なエージェントを見つけなければならない。それがとても難しかった。あるエージェントに一緒に仕事をしたいという手紙と写真を電子メールで送ると、幸いにも私のポートフォリオが気に入ってもらえた。すぐに航空便を予約してミラノに向かった。到着してすぐにプロフィール写真を撮り、毎日のスケジュール表が渡された。
住所と時間だけが書かれたスケジュール表と地図だけを持ち、一人地下鉄で現場に向かった。何度もオーディションを受け、日が暮れるまで結果を待った。
最初の3日ぐらいはずっとオーディションばかりだったが、どこからも連絡は来なかった。「このまま韓国に帰国するのではないか」と途方に暮れていると、ジョン・ヴァルヴァトスの1次オーディションに合格したとの知らせが入った。実はそのとき、オーディションに少し遅刻しており、下手をしたらチャンスを逃すところだった。ちょうどオーディション会場を出てきたところだったジョン・ヴァルヴァトスのあるデザイナーから、次の日もう一度オーディションを受けるように言われた。そうして1次オーディションに合格した。もし、その日そのデザイナーに会っていなければ、ジョン・ヴァルヴァトスのファッションショーに出演していなかっただろう。
最終の3次オーデションで私の強力なライバルだったモデルが、とてもイケメンでウォーキングのうまい英国系のハーフだった。選ばれるのは一人だけなので、その人が選ばれれば、自動的に私は落選だった。だが、驚いたことに合格したのは私だった。その瞬間、涙があふれた。今でもその瞬間が忘れられない。それがミラノでの最初の舞台だった。
2.モデルの道を選んだきっかけは。
子どもの頃の夢は野球選手になることだった。小学校3年生のときに野球を始めた。高校生のときに肩を負傷して野球をあきらめざるを得なくなった。大学は第一志望の学校に入ることができず、大学の型にはまった生活が嫌だった。毎日大学に行き、毎日同じことの繰り返しにうんざりしていた。人とは違うことをしてみたかったし、新しいことに挑戦してみたかった。
ある日、俳優になりたいと思った。そのために何をどうすればいいのか悩んでいると、幸いにも放送関係の仕事をしている先輩がいて、その先輩の推薦でモデルの仕事を始めることにした。それがとても楽しかった。雑誌に載せる写真を撮影し、雑誌の中に載った自分の姿を見ていると嬉しくて幸せな気分になった。そして、周りから海外の舞台に進出したらどうかといわれ、挑戦してみようと思うようになった。
2012年にミラノのファッション界にデビューして以来モデルとして精力的に活動するソンさんは、俳優としても活躍したいと話す(写真:チョン・ハン記者)
3.イタリアのファッション界の巨匠らがソンさんを選んだ最大の理由は。
様々なファッションブランドがあり、それぞれ追い求めるスタイルとイメージがある。それに私がマッチしたのではないだろうか。切れ長の目とアジア人らしい魅力があるといっていた。欧米のモデルは思ったほど身長が高くなかった。長身(188cm)、長い手足、バランスのとれたスタイルも一役買ったと思う。
4.韓国とイタリアでモデルとして活動してみて、両国のファッションの違いは何だと思うか。
韓国人は他人の目をとても気にするが、イタリアのファッションには「自由」がある。イタリア人はどんな服を着てもそれ自体がファッションだ。どこに行くにしても、バスの運転手にしても、彼らの着ている服がファッションだ。
しかし、最近では街路樹通りや東大門などを歩いていると、ファッションセンスのある若者を多く見かける。外国人から「なぜ韓国人はファッションセンスがいいのか」とよく聞かれる。韓国のファッションは次第に洗練され、ファッションに対する関心が高まってきているようだ。
プロ野球選手になる夢をあきらめてモデルになる道を選び、幸せを感じているというソンさん(写真:チョン・ハン記者)
5.海外の舞台はほとんどが欧米人だが、数少ない東洋人として大変なことは。
何よりもコミュニケーションをとるのが大変だった。ある日、ミラノから車で4時間かかるフィレンツェに行ったとき、私以外はすべて英語が話せる欧米人のモデルだった。その日は一日中一言も話さなかった。英語を話せないのでこちらから仲間に話しかけることができなかった。そのとき、英語の必要性を切実に感じた。
6.これまでで一番記憶に残っているファッションショーは。
ミラノで初めて出演したジョン・ヴァルヴァトスショーだ。ディーゼルのような大規模なファッションショーよりも、私の最初の舞台だったからか、一番よく覚えている。何よりも驚いたのは、バックステージに用意されたビュッフェだ。大きな舞台はスケールが違うと思った。
ショーが終わると、「自分がすべてをかけて準備してきたのは何だったのか」と空しさが押し寄せてきた。準備している段階では胸がときめいてわくわくしていたのに、終わったら空しさに駆られたことを覚えている。
7.モデルをして一番幸せだと感じた瞬間は。
仕事しているときが一番幸せだ。雑誌の撮影も、ファッションショーへの出演も、そのときに一番幸せを感じる。
8.ソンさんにとってモデルとは。
モデルとは、自分自身を振り返り、自分をさらに成熟させ、強くしてくれる職業だ。野球で挫折を経験し、第2の挑戦として選んだモデルの道は、私の20代を華やかで幸せなものにしてくれた。野球をあきらめることで自信を失ってしまったが、モデルの仕事を始めて人前に立つことで自信を取り戻すことができた。今は野球をしていたときよりもずっと幸せだ。
9.今後の計画は。
一流ブランドのグッチ(Gucci)のショーに出演することが夢だ。多くのファッションショーに出演したいし、やりたいこともたくさんある。素敵な広告にも出演したい。また、俳優になる夢も叶えたい。私の性格にピッタリのキャラクター、男らしい役を演じてみたい。これから一生懸命勉強して挑戦するつもりだ。
コリアネット ソン・ジエ記者
jiae5853@korea.kr