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2017.01.24

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中川秀子さんにとって料理は楽しみそのものである。彼女の料理教室では受講者たちが地中海料理や日本料理の作り方を習い、食べながら会話をする時間を楽しむ。写真はキッチンでポーズをとった中川さん

中川秀子さんにとって料理は楽しみそのものである。彼女の料理教室では受講者たちが地中海料理や日本料理の作り方を習い、食べながら会話をする時間を楽しむ。写真はキッチンでポーズをとった中川さん



「料理は楽しさを与えてくれます。人と人を結び、関係を作ります」と中川秀子さんは話す。

中川さんは日本生まれの帰化韓国人で、ソウル麻浦区(マポく)延禧洞(ヨンヒドン)の自宅で「グルメ・レープクーヘン(Gourmet Lebkuchen)」という名の料理教室を運営している。ドイツ語で「グルメ」は美食家、「レープクーヘン」はジンジャーブレッドを意味する。そしてジンジャーブレッドは世界に様々な味と香りが存在することを彼女に教えてくれた食べ物だという。

彼女の料理教室では10人あまりの受講者がスペインなどの地中海料理と日本料理などを5カ月かけて習う。授業は待機者数が400人を超えることがあるほど人気だという。学生、小説家、記者、デザイナー、元外交官など受講者の年齢や職業も様々だ。

始終明るくエネルギッシュな中川さんに会って日本出身の主婦として韓国で料理教室を運営することになった背景、食べ物と料理についての考えを聞いた。

- 2008年から料理教室を運営したと聞いた。料理教室を始めたきっかけは。
趣味で習ったベトナム料理教室の集いから出た話が始まりだった。私がパエリア(米と野菜、魚介類、肉などを炊き込んだスペインを代表する料理)を作れると言ったら一緒に作ってみようということでみんなが自宅に集まった。そしてそのメンバーが中心となり私のことを周辺に紹介し始めた。韓国人、中国人、日本人と訪ねてくる人も様々。ここに来た多くの人々は料理を習いながらの出会いと会話を、また集いそのものを楽しんでいた。最初は4~6人くらいの私の知り合いから始まったのだが、徐々に口コミが広がり私と縁のない人も訪ねてくるようになって人数が増えた。

- 小説家など多様な職業をもつ人々が料理教室を訪ね、待機者も常にいっぱいの状態だ。こんなに人気なのはなぜだろうか。
よく分からない。最初はただ「自宅でやるのだから家賃はかからないだろう」「うまく行かなければ止めてもいい」程度に考えた。今は10人前後のメンバーが料理教室に参加している。小説家のウン・ヒギョンさんも数年前に来ていたし、もう一度クラスに参加することになっている。料理教室はここ以外にもたくさんある。ここでは他とは違って材料の下準備から皿洗い、後片付けまでやらせる。それを嫌がる人もいておかしくないはずだが、みんなでキッチンに立って皿洗いをしながら会話もして仲良くなれるからではないかと思う。最初は皿洗いも私1人でやっていた。1人でもできるのに、受講者たちが進んでそれを手伝いはじめた。(人気の理由は)その中から生まれた絆というものではないだろうか。結局、料理は手段に過ぎず肝心なのは人と人の関係なのだ。夜のクラスには男性もよく来るのだが、非常に積極的で会話を楽しんでいる。各クラスに1、2人くらいは男性の受講者がいる。元外交官の70代の男性もいたが、自らイタリアで選んだというエプロンとビニールの手袋まで持ってきたのが印象的だった。料理教室をやっていると様々な人に会えるので楽しい。

中川さんは「食べることは五感の1つで、一緒に食べることにより人間は仲良くなり幸せになれる」と、料理と食べ物が人間に与える影響について説明した

中川さんは「食べることは五感の1つで、一緒に食べることにより人間は仲良くなり幸せになれる」と、料理と食べ物が人間に与える影響について説明した



- 「食べ物は最高の癒しでありコミュニケーション、そして幸せ」という結論を出すまで少なからず試行錯誤も経験したのでは。
以前、私が料理を習っていたときは毎週の授業が楽しくないときもあった。なので私の料理教室では月1回集まってデザートを含め4~5つのメニューを習うことになっている。次の授業までの4週間は家で復習できる。

今でも料理をするのが大変に思えるときがある。しかし、食べ物はいつも喜びを与えてくれる。誰かを教えることは常にやってきた。大学を卒業してからは日本語を教えたこともあるし、準備さえであればもっとうまくできる自信もあった。そして料理は作ってから食べられるものなので日本語を教えるより楽しかった。今でもそう思う。大変なのは料理が労働になるときだ。買い物や材料の下準備など。それでも私に合った仕事だと考えている。楽しい。料理が天職ではないだろうか。

-韓国に帰化したとはいえ、いまだ異邦人であると感じることも多いはず。どんなときにそのように感じるのか。
日常ではあまり感じないが、韓国人の一致団結した姿を見たときそれを実感した。政治・社会的なイシューが発生して1つになるとき、私はその現象を客観的に眺めることになる。それ以外はむしろ日本に行ったときに違和感を感じる。あまりにも長く日本を離れていたから「私はもう日本人ではないんだな」と感じることがある。人と会話をするとき、店員さんと話しているとき、ふと「私、忘れているんだな」と思う。

- 料理教室を運営して一番やりがいを感じるときは。
料理で人の心を動かしたとき。たとえばある受講者がここで習った料理を家で作ったら、それがきっかけとなり仲が悪かったお義父さんと仲直りをしたとか。料理が人間の気持ちに影響を与えるときは嬉しくなる。料理教室に参加する受講者に変化が見えるときもそうだ。

- 料理とは全く無関係な言語学を専攻して、後になって料理を始めた理由は。
父がフランス料理のシェフだったのだが、幼い頃から料理は大変な仕事だと考えていたので職業にするつもりはなかった。当初は陸軍士官学校で日本語を教えていて、その後結婚と出産、育児を経験しながら海外や地方に行って初めて食べた料理にはいつも興味が湧くようになり、家に帰ると必ず自分で作ってみた。美味しい料理を食べるとその作り方が知りたくなり好奇心が膨らんだ。最初は自宅で作って家族に食べさせていたのが人を招待して一緒に食べるようになり、またそれが料理教室にまで発展した。料理に楽しさを感じて気楽にやっていた。料理を教えていたら日本語を教えることには興味をなくしてしまった。

- 初めて作った韓国料理は何か。また一番良く作って食べる韓国料理は。逆に作り方が難しかったり食べづらかったメニューは。
初めて作った韓国料理はあさりのカルグクスだった。初めて妊娠したときに食べたあさりのカルグクスがすごく美味しかった。そのときの記憶を探りながら家でも作ってみた。それを義父のために作ったのだが美味しいと喜んで食べたと、後に義母と夫から聞いた。義両親と別居してからはもっといろんなメニューにトライした。居酒屋みたいに酒が中心になる料理をよく作る。天然のカキとボッサムに入る大根の和え物も好んで作るのだが、酒と良く合うので好きだ。個人的には日本にはない、韓国的な食べ物が好きだ。カルビチムのように日本にも似たようなものがあればあまり作らなくなる。

- あなたが思う韓国人を表現できる料理、または最も代表的な韓国料理とは何か。
ビビンバのことを考える人が多そうだが、あまり同感できない。プルゴギも違うと思う。本当に韓国的なのはサムギョプサルだと考えている。豚肉はどの国でも食べるものだが、プレートで焼いて野菜に巻いて食べるのは韓国しかない。韓国料理を食べたくなるときは決まってサムギョプサルが思い浮かぶ。またキムチよりはピリ辛のカキの和え物が好きだ。黄海の天然カキと大根の和え物は特別に好きなもの。

中川さんは「韓国の女性は自分のレシピを娘や嫁に積極的に教える必要がある」と話し、継承料理の重要性を強調した

中川さんは「韓国の女性は自分のレシピを娘や嫁に積極的に教える必要がある」と話し、継承料理の重要性を強調した



- 多くの人が「家庭料理」「手作りの味」を強調する。継承料理や手作りの味についてはどう考えているか。
継承の味、料理については多大な関心をもっている。料理教室を運営していると食べ物について真剣に考える積極的な受講者によく会うのだが、そういう人たちは大概お母さんの影響を大きく受けている。そういう人に会うと、その人のお母さんに会ってみたくなる。小さい頃からどういうふうに食べてきたのか知りたくなるのだ。韓国の一部では母親が娘に自分のレシピを教えないケースもたまにみかけるが、私はもっと積極的に教える必要があると考えている。嫁さんも義母にもっと積極的に習わなければならない。それが継承料理なのだ。

- 最近はテレビで料理のコンテストやグルメ番組が多くなった。それについてはどう考えているか。
そこまで緊張した雰囲気の中で料理を作る必要があるのかなと思う。誰のために、何のために料理をするのかが重要だと考えている。そうやって作られた料理が果たして幸せを与えられるものか疑問を感じていて、最初は少し見たりもするが結局チャンネルを変えてしまう。

- 韓国で妻、母、嫁としての役割を果たすのが厳しくはなかったか。旧正月のように伝統的な祝日は大変だっと思う。
義理の両親と一緒に暮らし始めたときは「義理の両親にはこうすべきだ」という情報が全くなかった。義母の行動が私とあまりにも違っていた。私は社交辞令を言ったりするタイプではないが、それが他人を傷つけることにもなり得ることを独立する頃になって理解できるようになった。義母が色々と理解してくれたと思う。祝日だからといって特別に大変なことはない。料理も自分で作る。義母にも「自分で判断してやりなさい」と言われる。長男が1歳の誕生日を迎える頃、義母には内緒で宮中飲食研究院に料理を習いに通っていた。そこで習った宮廷料理を作ったら義父が喜んでくれた。そこから日本人嫁に対して信頼を抱けるようになったのだと思う。

- 世界的に健康への関心が高まり食べ物やダイエットに関する内容がテレビやあらゆるSNSで氾濫している。よく食べて健康を維持するにはどうすればいいだろうか。
最近ある大学病院と一緒に乳がん患者に良い健康レシピを紹介している。がんの専門医が選んだ食材を使ってがん患者に良いメニューを勧めるというものだ。健康食といっても特別なものではない。新鮮な旬の野菜に味付けは薄くして煮込んだり蒸して簡単に作れるものだ。派手に焼いたり炒めたりする必要もない。オーガニックにこだわらなくても大丈夫。何か付いていてもきれいに洗って使えば済む。簡単でも美味しく作れる。

中川さんは最近、料理教室の講義と自分のストーリを書き下ろした著書『延禧洞料理教室』を発刊した。前作としてこれまで『シェフの娘』『地中海料理』など4本の単行本を発表している

中川さんは最近、料理教室の講義と自分のストーリを書き下ろした著書『延禧洞料理教室』を発刊した。前作としてこれまで『シェフの娘』『地中海料理』など4本の単行本を発表している



- これから必ずやってみたいことがあるとしたら。料理教室の今後の計画についても教えてほしい。
これまでは忙しくて実行できなかったことだが、継承料理に関するプロジェクトを考えている。韓国のあちこちを回りながら継承の味について調べて本で紹介したい。受講者の数人に助けてもらって慶尚道(キョンサンド)、全羅道(チョルラド)などを探っている。ただ思ったより容易な作業ではない。作り方を教わるのではなく、人間として親密になるための時間と努力が必要だからだ。先日知り合いの記者さんから紹介してもらった慶州(キョンジュ)出身のチョン・ヘソン先生にアドバイスを受けて作業を進めるつもりだ。韓食の専門家でも宗家の嫁でもないが、先生が作った料理はレシピがなくても常に一定の味を維持している。同じトッククでも先生が作ったアワビのトッククや独自のトッポギの作り方、おかずにも興味がある。キムチのように難しかったり派手な料理でなくても良い。先生のような方が各地にいらっしゃるはずだから、自分で訪ねて料理を習いそのお話も聞いてみたい。

コリアネット ユン・ソジョン記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者
翻訳:イム・ユジン
arete@korea.kr