
大韓民国最大の地方自治体である慶尚北道は2月19日、415年も続いた大邱時代に幕を下ろし、安東に庁舎を移すという大きな改革を成し遂げた。写真は安東に構えた慶尚北道新庁舎
1万2千年余りの間続いてきた人類の文明には共通する特徴がある。
川の周辺で文明が発達したという点だ。ナイル川、チグリス川とユーフラテス川、インダス川、黄河など人類が築き上げた文化に歴史は常に川を中心に発達してきた。川を利用して農耕を行い、外部と交流し、文化を形成したのだ。
韓半島も例外ではない。大同江(テドンガン)、漢江(ハンガン)、洛東江(ナクトンガン)、栄山江(ヨンサンガン)などに代表される数々の川を中心に北部、中部、南部の文化が形成された。韓国古代史の中心国家である高句麗・新羅・百済の3国は、これらの川を背景に文化が芽吹き、交流と競争を経て発展した。
長さ513.5㎞、流域面積23,860㎢におよぶ韓国最大の河川洛東江に面する東南地域は、三韓時代から新羅、後三国、高麗、朝鮮に至るまで韓国の歴史において重要な役割を果たしてきた。三韓と新羅統一以前の洛東江周辺には、数多くの群小国家が存在した。初期新羅も今日の慶州(キョンジュ)を中心とする小さな国家だった。新羅は少しずつ洛東江周辺の小国を吸収しながら領域を広げ、近隣国家と活発に交流することで7世紀に統一を成し遂げた。韓半島で最も立ち後れた地域にあった小国が百済や高句麗という錚々たるライバルをねじ伏せ最後の勝者となったのだ。

江原道(カンウォンド)太白(テベク)から発源し、慶尚南道を経て南海(ナムヘ)へ流れる洛東江。歴史時代以来、数々の国家がこの地で生まれ、韓半島初の統一国家である新羅を生み、高麗や朝鮮の伝統文化が花を咲かせた文明のゆりかご。写真は安東氏を突き抜ける洛東江。
韓半島初の統一国家である新羅の根拠地は他ならない今日の慶尚北道(キョンサンブクト)、大韓民国最大の地方自治体だ。面積は19,029㎢と国土の19.1%を占める。人口は2015年現在で2,752万591人にも上る。慶尚北道の由来は700年前の高麗時代にまで遡る。西暦1314年に新羅の首都だった慶州と洛東江の主要都市だった尚州(サンジュ)の頭文字をとって慶尚道と呼んだことに由来する。19世紀末に慶尚北道は大邱(テグ)を中心に発展した。
2016年2月19日、慶尚北道に大きな変化が起こった。
道行政の総指揮を務める道庁を従来の中心地だった大邱から北部地域の安東(アンドン)に移した。西暦1601年に慶尚監営(キョンサンカミョン、道の最高行政責任者が事務を執った官庁)が大邱に設置されてから415年が経った今年、道の中心が移動したのだ。
安東もまた洛東江流域の主要都市。先史時代から高麗、朝鮮時代に至るまでの長い間、歴史の舞台だった伝統のある都市。10世紀、韓半島2番目の統一国家である高麗は、安東地域を基盤に30年余りに渡った戦争時代に終止符を打つことができた。10世紀に高麗の王建(ワンゴン)は、安東地域の有力な豪族(ホジョク)らの支持を得て強力なライバルだった後百済を制圧し最後の勝利を勝ち取った。
とくに安東は韓国文化の根幹を成す朝鮮時代の面影と伝統が残る文化都市だ。名門と呼ばれる朝鮮時代の支配層である両班(ヤンバン)家門が築き上げた儒教文化は、ここ安東で花開いた。儒教の教育機関である書院(ソウォン)、地域の儒林(儒学者)の交流の場であった郷校(ヒャンギョ)を中心に朱子学、文学などの文化が花を咲かせた。

慶尚北道庁本館1階にある「徳業日新網羅四方」、「慶北は韓国精神の窓」と筆で書かれた扁額。伝統を継承し未来を切り開くという意志が表れている
慶尚北道庁の安東への移転は統一新羅、高麗、朝鮮へと続く韓国の歴史の伝統を受け継ぎ、新しい未来を切り開くという意志を実践したものと見られる。韓国史初の統一国家だった新羅は「德業日新網羅四方(善良な大業で日々刷新し世を包容する)」という発想から出発した。新羅の国号もこれにちなんでつけられたもの。
安東が位置する慶尚北道北部地域は、長い歴史に比べ産業や交通などの経済部門では立ち後れている。今回の道庁移転も韓国の中心に近い安東地域を慶尚北道の中心地とし再跳躍させるという意志が根底にある。
慶尚北道は道庁移転をきっかけに国土の新しい中心軸を形成することになった。北緯36度に位置する慶尚北道新道庁は、韓国行政の中心である世宗(セジョン)市と同じ緯度にあり、韓国の腰にあたる一帯に新しい発展軸を形成するものと期待される。世宗市と107㎞の距離に位置する道庁は、今後、東西5軸高速道路が完工すれば40分で行き来することができる。また、ソウルからも1時間で行ける距離になり、首都圏企業の移転も期待できる。

慶尚北道安東新庁舎の全景。慶尚北道庁は剣舞山(コンムサン)に囲まれ、洛東江に面しており、風水で良いとされる背山臨水の地形にある
このために慶尚北道は「韓半島の腰の経済圏」構築という野心に満ちたプロジェクトを推進している。国土の中心にある経済ベルトを結び新成長エンジンの新しい転機を迎えようとする抱負がうかがえる。これに向けて慶尚北道は忠清(チュンチョン)南北道、大田(テジョン)市、世宗市と広域経済同盟を構築する構想を練っている。もはや首都と地方の区分が無意味なものになる、大変革を迎えようとしているのだ。21世紀の慶尚北道で巻き起こる、その大変革の中心に安東がある。
コリアネット ウィ・テックァン記者
写真:慶尚北道庁、コリアネット ウィ・テックァン記者
翻訳:イ・ジンヒョン
whan23@korea.kr

慶尚北道新庁舎がある慶尚北道安東は韓半島の東南部、北緯35~37度に位置する