ストップ。あなたの人生のストップボタンを押す。あなたが暮らす都市のストップボタンを押す。すべてが止まる。しかし、あなたは動き続ける。動き続け、活動する。全世界が凍りつく。走っていた車が止まり、ひらひらと飛んでいた蝶が止まり、はしゃいでいた犬も止まる。人々の足(並み)が止まり、あらゆるものが停止する。しかし、あなたは歩き続け、そうやって1年を過ごす。そしてストップボタンを解除する。カチッ!再び人生は流れる。人々はあなたと一緒にあたなの周りで動く。あなたも人々の波に飲まれ、そうやって人生は流れていく。
チャン・ジョンイルの『アダムが目を覚ますとき(原題:아담이 눈뜰 때)』(1990)の主人公は10代から20代前半まで大人になる術を学ぶ。間違った時期に起こるありとあらゆる間違った事柄を過度に強調し、誰もが20代に犯すような失敗をしながら大人になる術を学ぶ。彼の周りには1980年代後半のポップソングと数多くの本、ムンクの絵画『思春期』がある。エデンの園から追放された旧約聖書のアダムのように、世に生まれて初めて目を開けた赤ん坊のように、子供から大人になりつつある『思春期』のモデルのように『アダムが目を覚ますとき』の主人公は1年間停止し、成長する。そしてまた人生を歩み出す。作家チャン・ジョンイルは28歳でこの作品を書いた。
1990年の発表当時『アダムが目を覚ますとき』は衝撃的かつ現代的との評価を受けたが、今日ではこの作品に衝撃を受ける者はほとんどいない。しかし、この小説は依然として1980年代後半の韓国の「時代の教養小説(Bildungsroman)」として高く評価される。この作品には我々の人生における主な事柄が登場する。セックスとアルコール、男と女、女と男、文学、芸術、書籍、より多くのセックス、読書、夜更け、長い散歩、思索と政治、独裁から民主主義への変化。もちろん五輪旗も。
主人公は大学入試の話から語り始める。彼の成績は地方の大学で奨学金を受けるに十分だったが、彼に全くそのつもりはなかった。ただただソウルの名門大学に進学することを望んでいたt。そのため他の代案は失敗に他ならないと考え浪人を決意する。まるで「ダメな理由でもあるのか?」とでも言っているようだ。主人公の母親はそんな彼の決意を支持し、兄は外国の大学院に留学し学業に専念していた。ある女友達から「アダム」と呼ばれる主人公はため息をつく。彼は肩をすくめては1年間ソウルを徘徊する。
このような無関心─仮に2つの概念をあわせられるなら、無神経な不安と言えよう─は6ページ(以下、英語版基準)に描写されている。「失敗の瞬間から私は世の中と疎遠になってしまった」。主人公の観点から言えば、彼は大学進学に失敗し、1年間浪人することを決める。そして1年間ソウルを徘徊しながら過ごす。ムンクの作品を見る。ローリング・ストーンズを聴きながら哲学の本を読む。浪人した1年間、彼は3、4人の女と付き合う。作品の終盤で主人公は再び大学入試を受ける。そして人生はまた流れる。

チャン・ジョンイルは28歳だった1990年に『アダムが目を覚ますとき』を書いた。この作品は1993年に映画化され、2013年に英語版が発刊された
アダムは、付き合った何人かの女のうちの1人、ウンソンと次のような詩を書く。
12月
誰も信じられない
誰も
誰も
誰も!
私は早くに死んだ者たちを信じるだけ
私は麻薬に溺れ狂った者たちを信じるだけ
例えば
私は「J」で始まる名前の者たちを信じるだけ
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンのような
そうそうたるミュージシャンたちだけを
早死にしようと
麻薬をしようと
この世界では可能なこと
一度に2つをするとしても
ゴシップにすらならない
それだけが真実なんだ
それだけが
劇中劇のように作家の詩は自らの小説を要約している。
時期
アダムがソウルを徘徊した1年は、彼が学び経験したことを踏まえれば時代を超越している。それでも1990年に書かれたこの小説は1980年代後半の韓国を背景にしている。ならば1980年代後半の韓国では何が起こっていたのか。それはスポーツと政治だった。
スポーツ
ソウルは1986年の9~10月に開催された第10回アジア競技大会の開催地で、同大会はソウルで開催された初の大規模スポーツイベントだった。これに続いて1988年の9~10月に第24回オリンピック競技大会が開催される。この期間に韓国のGDPは急成長を遂げ、飛行機、電車、自動車がどこでも見かけられるようになった。富の神「マモン(Mammon)」の気勢がすさまじかった。国家主義者、中年男性、民族主義者、狂信的愛国主義者の誰もがこれらの大会を「我が民族」の名誉・面子・敬意を持ち合わせた「偉大なる覚醒」と見なした。傷痕が残る韓国社会は外部から認められることを渇望し、全世界が自国の成功を「認識」してくれることを願った。言い換えればそれは、グル(collaboration)、不敗(corruption)、手抜き(cut corners)は多めに見てほしいということだった。新聞や社説、マスコミ全体が自己陶酔に浸り、ゴリラのように胸を敲きながら国旗を翻した。
政治
一方でスポーツ以外に政治も1980年代後半の韓国における中核要素だった。作家が25歳だった1987年は現代の韓国社会において政治的に重要な時期だった。1987年12月に直接選挙制が導入されてから初の大統領選挙が行われ、第6共和国の幕が上がった。民主主義に火が点いたにもかかわらずこの国の若者たちは依然、沈鬱としたままだった。主人公、アダムは社会の変化を感知する。
「私だけでなく、思春期の敏感な感受性を持ったまま、私腹を肥やす汚い政治家らによって真実が覆されるのを目撃した私たちの世代は、この先何年後かにおびただしい数の政治無関心者を量産するであろう」
元陸軍保安司令官だった候補が大統領に当選するものの、得票率は36.6%にとどまった。2016年現在、この元大統領の長男はタックスヘイブンによる域外脱税の疑いがかけられている。何も驚くようなことではない。
無関心
このように軍部が権力を握り、国家主義の風が起こっていた。このような時代精神(Zeitgeist)とは対照的に、主人公アダムはあらゆる事柄に両面的な態度を示す。彼は国家主義や愛国主義にさほど興味を持たず首を傾げる。政治全般に関心を持っていない。それよりも自分の人生により直接的に影響するもの、つまりローリング・ストーンズ、ムンク、恋人、芸術、音楽、本のほうが重要なのだ。彼は社会に気を留めない。あるがままに自由な人間なのだ。
5ページで彼はこう言う。「そうやって自分のあらゆる欲望を空にする術を知った者は、いつの間にか自分を完全にコントロールできる自由人、即ち自分自身の独裁者になるのだ」。このような彼の世界観は仏教に近い。

韓国文学翻訳院と米出版社ダルキー・アーカイヴが共同出版した「韓国文学シリーズ」には2013年に英語で翻訳されたチョン・チャンイル著『アダムが目を覚ますとき』が載っている
本について
作家チャン・ジョンイルは28歳だった1990年に『アダムが目を覚ますとき』を発表した。公式な学力では中卒だが、彼は文章を書くのが得意だった。この小説は1993年にキム・ホソン監督がメガホンをとり映画化され、ネイバームービー(ポータルサイトの映画評価ページ)で今でも10点満点の7.33点を記録している。
その後、1996年に小説『私に嘘をついてみろ』を発表したチャン・ジョンイルが「淫乱文書を流通させた疑い」で起訴されたのは興味深い事実だ。
『アダムが目を覚ますとき』を読む時は音楽を準備しよう。KC&ザ・サンシャイン・バンド(KC and the Sunshine Band)の『プリーズ・ドント・ゴー(Please Don’t Go)』、ローリング・ストーンズの『ワイルド・ホース(Wild Horses)』、シャーデー(Sade)の『ジェゼベル(Jezebel)』、ジム・モリソン(Jim Morrison)の『ライト・マイ・ファイア(Light My Fire)』。その他にも作品はボーい・ジョージ(Boy George)、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)、ワム!(Wham!)、F.R.デービッド(F.R. David)、ユーリズミックス(Eurythmics)の音楽で溢れかえっている。作家はジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンを「聖なる3大J」と呼んでいる。
仮にチャン・ジョンイルが、同作の続編として30代に差し掛かった主人公の「本当の意味で大人になった姿」を描いていたとしたら興味深かっただろうと思うが、中年以降の人生はそうでもなさそうだ。
『アダムが目を覚ますとき』は2013年にファン・ソネとホラス・J.ホッジス(Horace J. Hodges)の翻訳で英語版が発刊された。韓国文学翻訳院と米出版社ダルキー・アーカイヴが共同で出版している「韓国文学シリーズ」の1作として出版された英語版は現在アマゾンで買い求めることができる。
あなたの人生のストップボタンを押してみよう。時間が止まった世界で、ある青年の成長記『アダムが目を覚ますとき』を読んでみよう。きっといい旅になるはずだ。そしてストップボタンを解除しよう。あなたの人生はまた流れ始める。
コリアネット グレゴリー・イーヴス記者
写真:韓国文学翻訳院
翻訳:コリアネット ソン・ジエ記者、イ・ジンヒョン
gceaves@korea.kr