韓国をこよなく愛し、韓国人に愛された人を紹介するシリーズ。日韓の架け橋となった人物や団体の「誠信の交わり」をインタビューで明らかにします。
朝鮮国信使絵巻(文化度)の一部=長崎県対馬歴史研究センター提供
【文=岡本美砂】
「朝鮮通信使に関する記録」が「ユネスコ世界記録遺産」に登録されたのは2017年10月31日のこと。日韓両国の民間団体が共同申請した意義は大きく、登録を機に、朝鮮通信使への関心が一気に高まりました。
朝鮮通信使とは、「朝鮮国が日本国に派遣した外交使節団」で、「通信」とは「信義を通わす」という意味があります。
江戸時代、日本の交流相手国は、朝鮮、中国、オランダ、琉球の4か国に限られ、このうち唯一対等外交を行っていたのが朝鮮でした。その象徴ともいえるのが朝鮮通信使で、徳川将軍が代わる度に来日、対馬藩が仲介する形で、1607年から1811年まで、全12回行われました。
一行は、正使、副使、従事官の三使をはじめ、学者や医者、画家、さらに楽隊、輸送係、料理人、贈物係等、総勢400~500人にも及ぶ規模でした。これに警護や人足を加えると多いときで3000人を超す大行列となりました。朝鮮通信使は、6カ月から1年近くかけて漢陽(ハニャン。朝鮮王朝の都)・江戸間を往復し、その距離は4500キロメートルにも達しました。道中は釜山から対馬藩が案内役となり、大阪までを海路、大阪から山城淀までは淀川舟運、山城淀から江戸までは陸路を利用しました。宿泊所となる客館や食料の提供、饗応などは通路となった各藩が行って、朝鮮通信使をもてなしました。
朝鮮国信使絵巻(文化度)の一部=長崎県対馬歴史研究センター提供
朝鮮通信使が来日すると多くの人々が通信使見物に押し寄せるとともに、庶民向けのガイドブックや版画などが刊行されるなど、日本中が朝鮮ブームに沸き立ちました。また、日本の学者や文人、画家、医者などが客館に殺到して朝鮮の学問や医学を学び、朝鮮通信使も日本の農業技術や水利技術などを学ぶなど、積極的な異文化交流が行われ相互理解を深めました。
朝鮮通信使に注目・研究し、日韓の友好の歴史を明らかにしたのは、1970年代、辛基秀(シン・ギス)、金両基(キム・ヤンキ)、姜在彦(カン・ジェオン)等、在日韓国人たちでした。貧しい家庭で育ち、学校や地域社会で差別を受けている同胞の子どもたちに自尊心を持たせ、生きる力を与えたいと顕彰に取り組んだのです。
一方の韓国でも、2000年以前、あまり積極的に朝鮮通信使研究に取り組む研究者はいませんでした。しかし、2002年、日韓ワールドカップの開催決定を契機として、韓日文化交流の歴史が見直されるようになって、2000年に朝鮮通信使文化活動が始まりました。2005年に朝鮮通信使学会ができてから、研究が進んでいったといいます。
日韓それぞれの国で進められてきた朝鮮通信使の研究が、どこで交わり、ユネスコに共同で申請するに至ったのでしょう? また登録されるまでに、日韓双方でどのようなやり取りがあったのでしょうか。
朝鮮通信使資料の審査と登録資料の選定、申請書案の作成に携わった、対馬博物館館長兼対馬朝鮮通信使歴史館館長でNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会ユネスコ連絡部会会長の町田一仁(まちだかずと)氏と、対馬市観光交流商工部文化交流課副参事兼係長でNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会事務局長の小島繁樹(こじましげき)氏にお話を伺いました。
対馬博物館館長兼対馬朝鮮通信使歴史館館長、NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会ユネスコ連絡部会会長の町田一仁氏(左)、対馬市観光交流商工部文化交流課副参事兼係長、NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会事務局長の小島繁樹氏=町田氏、小島氏提供
日本では1995年、松原一征(まつばらかずゆき)氏が中心となり、朝鮮通信使ゆかりの町に働きかけ、「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(以下縁地連)が発足します。韓国の財団法人釜山文化財団からユネスコへの共同申請を打診されたのは、2012年5月、釜山で「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会釜山大会」が開催された折のことでした。
事業推進にあたって、日本では縁地連をNPO法人化し、2014年縁地連内に13市町、4県、3民間団体による推進部会を設置、推進部会の諮問機関として日本学術委員会を設置。韓国側でも釜山文化財団により推進委員会が組織されるとともに、11名の委員からなる学術委員会が設置されることになりました。
ユネスコ世界記録遺産の登録基準は非常に厳しく、第一に「真正性」が問われます。いかに優れた物件でも「写本」や「模本」は対象になりません。第二に「世界的重要性」「希少性」といった「普遍的価値」を有すること。第三に保存体制と公開性が保証されていることが求められます。所蔵者の承諾も欠かせません。
そこでそれぞれの研究者や文化財保護の専門家を網羅した、日韓合同の学術委員会を組織し、登録資料の選定を進めることになりました。
日韓共同学術会議が最初に開催されたのは2014年。日本側は「朝鮮国書」を候補に挙げたいとしましたが、韓国側がこれに反対、初回から議論は紛糾します。「国書」が日本側にしかなく、「日本国書」(将軍返書)が韓国側に現存していなかったためです。また、朝鮮通信使を「朝貢」と見る人物もいたため、両国で交わされた国書が対等な関係を表していたか否かが問題となりました。議論の結果、「日本国書」を謄写した韓国側の「通信使謄録」と日本側の「朝鮮国書」を併せて申請することで合意に至りました。
日韓共同申請書調印式=NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会提供
対馬藩主の宗義智(そうよしとし)の肖像画を含めるか否かについても論争があったといいます。日本側は、壬辰倭乱(文禄・慶長役)で国交が断絶してから再開交渉を行った人物として候補に挙げていました。国家形態の異なる国同士が双方の威信を保ったまま対等外交を行うには、宗氏の仲介なくしては不可能だったからです。しかし韓国側は宗義智が壬辰倭乱で豊臣秀吉の命により先鋒をつとめたとして、世界記録遺産の一部に加えることに反対。議論は白熱しましたが、最終的には、韓国側の見解を尊重して登録から外すことになりました。
こうして2年間で11回、50時間に及ぶ話し合いの結果、日韓併せて111件、333点の物件を登録することが決まったのです。
登録資料はどのようなものなのでしょうか。資料の内容から外交記録、旅程の記録、文化交流の記録の3つに分類されています。
外交記録は、朝鮮と日本の公式記録や外交文書で、「朝鮮国書」や「通信使謄録」等がこれにあたります。「朝鮮国書」は対馬藩により改作されたものですが、朝鮮国と徳川幕府の間に立ち、国書を改作してまで国交の再開を急いだ対馬藩の苦心が見て取れ、実際には改作された国書により国交再開を成しえたという歴史的にも稀な資料です。「通信使謄録」は、1641年から1811年までの朝鮮通信使関連の公文書のほとんどを網羅したものです。
旅程の記録は、通信使の具体的な様相や通信使への日本側の対応を記録したもので、各藩の供応記録、通信使の行列図等の記録画等があたります。代表的なものとしては第9回朝鮮通信使の製述官 申維翰(シン・ユハン)が著した『海游録』があり、道中日記と60項目あまりの日本見聞を記したもので、朝鮮通信使研究の上で必須文献といわれています。
文化交流の記録は、通信使と日本人との間で行われた学術交流の様子が窺える通信使の詩文、筆談唱和した記録等があたり、その代表となるのは、36点に及ぶ雨森芳洲関連資料です。雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)は22歳で対馬藩に仕官。以来60余年にわたり対馬藩儒として朝鮮外交を担った人物で、朝鮮語、中国語に長け、藩の通訳養成制度を確立、後進の育成にも尽くしました。在任中は3度朝鮮通信使に随行し、そのうち2度は朝鮮国と幕府の折衝役を務め、生涯にわたり、朝鮮文人との親交を深めたといわれます。代表的な著書である『交隣提醒』で芳洲は「互に欺かず争わず真実を以て交り候」と民族間の文化の相違を尊重し、外交の基本は「誠信(誠意と信義)」にあると説きました。
ユネスコ世界記録遺産申請にあたった日韓共同学術会議のメンバーも朝鮮通信使の「善隣友好」「誠信交隣」の精神が互いの絆を深め、申請作業を通じて、相互理解が深まったといいます。ユネスコに申請する資料に記された、「Peace Building(平和構築)」「Cultural Exchanges(文化交流)」という言葉に、朝鮮通信使の意義と申請者たちの思いが重なります。
ユネスコ世界遺産登録認定書=NPO法人朝鮮通信使縁地連連絡協議会提供
ユネスコ世界記録遺産への登録を受けて、朝鮮通信使は世界の資産となりました。国境を隔てた2つの国で200年以上にわたり戦争がなかったという例は、世界にも類を見ない事実で、このような平和な時代は、朝鮮通信使により実現したといえます。その意味でも、登録資料333点全てが「人の心の中に平和の砦を築く」ユネスコの理念を実現しています。
今後は、その役割や意義、通信使が果たした平和的外交の価値を世界に発信、継承していくことが求められるでしょう。既に日韓両国で登録資料の図録が完成し、韓国ではデジタルアーカイブをまとめ、世界に発信する準備を進めています。
8月1日には、韓国で復元された通信使船が釜山を出港し、長崎・対馬の厳原港に入港しました。朝鮮通信使船が運航されるのは212年ぶりです。町田氏と小島氏は、「コロナ禍で中止になった来航がようやく実現するとあって、期待が高まっている。朝鮮通信使一行が培った日韓の友好と親善を未来につなげていきたい」と話して下さいました。ユネスコ世界記録遺産登録は、ゴールではなく、始まり。通信使船の来航を機に、日韓交流の輪が更に広がることに期待したいと思います。
復元された朝鮮通信使船=聯合ニュース
*この記事は、日本のKOREA.net名誉記者団が制作しました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。
km137426@korea.kr