オピニオン

2021.06.30

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竹内康人
日本近現代史研究者


産業遺産情報センターは、日本政府が明治産業革命遺産を解説するために東京に設置した施設です。2020年3月に開館しました。この情報センターは、2015年の明治産業革命遺産の世界遺産登録の際に、日本政府が戦時に朝鮮人などを意に反して連行し、労働を強いたことを認め、犠牲者を記憶するためにセンターを設置すると約束したことによるものです。このセンターの展示・運営は産業遺産国民会議に委託されました。

このセンターの展示には問題があります。第1に、センターが提示する明治産業革命遺産の物語は明治期の日本の産業化を賛美するものであり、労働や国際関係などの歴史全体を示すものではないことです。第2に、世界遺産登録の際に認めた戦時の強制労働を、端島炭鉱(軍艦島)の事例を利用して否定していることです。第3に、犠牲者を記憶する場としてセンターを設置するという約束が反故にされていることです。


センターには、3つの展示場(ゾーン)があります。このうち「ゾーン3資料室」は、強制労働の歴史を否定するための構成となっています。強制労働被害者の証言、虐待や未払金を示す資料は排除されています。犠牲者を記憶する内容もみられません。元端島住民の証言を採用して、「端島は仲良しのコミュニティ」であり、強制労働も差別もなかったとするものです。具体的にみてみましょう。


三池炭鉱で中国人を労務管理した日本人の冊子が紹介されています。それは、朝鮮人は集団就職であり、差別はないと話している人物の文書です。三池炭鉱に動員された朝鮮人、中国人、連合軍捕虜の証言は示されていません。三池炭鉱の連合軍捕虜にはバターン死の行進で生き残り、三池へと連行され、労働を強いられた者もいました。その一人、レスターテニーは手記を残し、強制労働の実態を記しています。連合軍捕虜の中には餓死した者や刺殺された者もいました。しかし、そのような記録は示されてはいません。


広島県の東洋工業に動員された鄭忠海の「朝鮮人徴用工の手記」が展示されています。手記には「強制的に引っ張られて来た人々が大部分ではないか。徴用というよからぬ名目で動員されてきて、作業服をまとい奴隷のような扱いを受け」など、強制労働に関する記述が複数あります。この資料は強制労働を示すものですが、展示ではその内容に言及していません。


朝鮮人の未払金の実態も示されていません。長崎造船所に戦時徴用された日本在住の台湾出身者の給与袋が展示されています。賃金が支払われ、差別がなかったことを示すための展示です。長崎造船所に動員された金順吉は裁判を起こし、裁判では強制労働や強制貯金の事実が認定されています。長崎造船所には朝鮮人約6000人が強制動員され、朝鮮人未払金は約3400件、約86万円がありました。八幡製鉄所では約3500件、約30万円の朝鮮人未払金があり、供託されています。現在の価値で億単位の金額です。このように数多くの動員朝鮮人の未払金があるのです。そのような資料は示されていません。


パネル「徴用関係文書を紐解く」では、官斡旋、徴用に関する日本政府の動員文書が提示されています。しかし、1939年からの集団募集の動員文書が欠落しています。日本政府が立てた労務動員計画により、1939年から45年にかけて朝鮮人は集団募集、官斡旋、徴用によって、日本へと約80万人が動員されています。それは欺瞞や命令、ときには拉致も含む強制的な動員でした。その実態についての具体的な解説はありません。
「ゾーン3資料室」の展示の問題点はこのようなものです。

では、端島炭鉱は「仲良しのコミュニティ」であり、強制労働はなかったといえるのでしょうか。


端島炭鉱は、三菱によって高島炭鉱の支坑として開発されました。端島炭鉱では、納屋制度による暴力的な労務支配がおこなわれました。圧制の中、明治期の1894年に労働者が食事の改善を求めて罷業し、納屋などを破壊する事件が起き、1908年には派出所と炭鉱事務所などを襲撃する事件が起きています。1907年頃の端島の状態をみれば、坑夫募集人が1人につき3円の手数料を得て炭鉱を楽園のように吹聴し、欺瞞して募集していたのです。会社は「淫売店」を開業させ、さらに賭博を奨励しました。坑夫はこの陥穽におちいり、前借金によって自由を縛られていました。明治期、欺瞞による募集と前借金による束縛がなされ、暴力的な労務管理により労働が強制されていたのです。


日本政府は中国から東南アジア、太平洋地域へと戦争を拡大し、石炭増産を進めました。そのなかでこれまで制限されてきた女性や少年の坑内労働が行われるようになりました。また、産業報国の名で労働者の権利は奪われ、職場の軍隊化がすすめられました。高島炭鉱では、労働者は「肉弾特攻」の名で生命を賭けて石炭を掘るようにと労働を強制されるようになりました。


高島炭鉱には1939年から45年にかけて4000人ほどの朝鮮人が連行されました。朝鮮人は高島と端島に振り分けられ、端島には1000人以上が動員されたとみられます。端島に動員された朝鮮人の一人、崔璋燮は「自叙録」を記しています。そこで、「鉄格子のない監獄生活の身の上になった」、「飢えに苦しんで、常に汗まみれで、栄養失調で足がつって、一日に何人も倒れての作業だった」、「(逃亡して捕まった者には)酷い拷問、さらにゴム革で作った紐に肉片がつくほどの苦痛を受けた」と記しています。中国人も400人ほどが高島・端島に強制連行され、労働を強いられています。そこで死亡した者もいます。


戦後の1946年、日本政府・厚生省は未払金に関する調査を行いました。その調査で高島炭鉱(高島・端島)に動員された朝鮮人1299人分の名簿が作成されています。一人100円ほどの未払金があり、中には500円ほどの未払金がある者もいます。未払金の合計は、当時の金額で22万円ほどです。現在の価値で数億円規模の朝鮮人の未払金があったのです。 


労働を強いられた人々にとって、端島は「監獄島」、「地獄島」でした。産業遺産国民会議は「端島は仲良しのコミュニティ」であったと喧伝していますが、それは暴力的な労務管理や戦時の強制動員や強制労働の実態を隠蔽するものです。

ユネスコ憲章の前文には、人の心の中に平和の砦を築くこと、人類の知的・精神的連帯の大切さが記されています。世界遺産は平和と連帯のためにあります。世界各地の遺産から学ぶことで、民族や宗教を超えて人と人はつながることができます。世界遺産は博愛と寛容の精神を育てるものであり、それが人類の知的・精神的連帯の基礎となります。


センターの展示は、韓国の強制労働の主張を嘘の宣伝とみなし、強制労働を否定する視点で構成されています。それは自国中心的で不寛容な展示であり、博愛と寛容を深めるものではありません。その展示の背景には、過去の戦争と朝鮮植民地支配を正当化し、強制労働を認知しようとしない歴史否定の意識があります。歴史への反省のない意識はユネスコの精神と相容れません。また、それは労働を強制された被害者の尊厳を再び侵すものです。


ユネスコの平和構築への理念を再認識すべきでしょう。センターの展示は、強制労働の事実を認め、犠牲者を記憶にとどめる場となるように再構成されるべきです。その展示は、博愛と寛容の精神を深め、人の心の中に平和の砦を築くようなものであってほしいと思います。自国中心で不寛容な展示の改善が求められているのです。 


竹内康人は、1980年代に戦時の強制連行の調査を始め、2005年に強制動員真相究明ネットワークに参加した。「明治日本の産業革命遺産・強制労働Q&A」の著者。