朝鮮時代にカトリック迫害が行われたとき、死刑執行場として使われ、多くの信者が殉教した西小門公園が、今年初めに歴史公園に指定された。カトリック信者約100人が処刑され、そのうち44人が聖人になった西小門公園。8月に来韓するフランシスコ法王はここを訪れ、殉教者らを追悼する予定だ。
西小門公園と西大門一帯の京幾監営址は、数多くの信者が殉教した場所で、ソウルのカトリック聖地巡礼の道の2番目の区間である「生命の道」へと続いている。他にも、この地に初めて宣教にやって来た中国人神父の周文謨ヤコブ(Jacobus)が最初のミサを執り行った嘉会洞聖堂や韓国最初のゴシック様式の教会である中林洞の薬峴聖堂、韓国カトリック最後の殉教者を出した右捕盗庁址などもこの道の中にある。
殉教福者103人が聖人に認定されたことを記念して建てられた「西小門外殉教者顕揚塔」(写真提供:カトリックソウル大教区)
西小門は、朝鮮時代の都「漢城」の城門だった西大門と南大門の間にあり、西小門の外の十字路広場は、朝鮮初期から死刑執行場所として使われていた。ここは、大きな道が交わる交差点で、多くの通行人で混雑し、罪人らが捕らえられていた施設からも近かった。
ここで初めて殉教者が出たのは、1801年のカトリック迫害のときだ。韓国最初の洗礼者であるイ・スンフン・ペテロ(Peter)と、平信徒の教理研究組織「明道会」を率いていたチョン・ヤクチョン・オーガスティン(Augustine)らがここで殉教した。西小門の外では、長きにわたり多くの殉教者が出たが、そのうち44人が聖人に認定され、韓国カトリック史上最多の聖人が誕生した。
1999年に殉教福者103人が聖人に認定されたことを記念して建てられた「西小門外殉教者顕揚塔」は、朝鮮時代の刑具だった「刀」を象った3つの花崗石で建てられており、これは死と迫害を象徴している。また、塔に刻まれた7つの金色の線は恩恵を意味している。
韓国最初のゴシック様式でレンガづくりの聖堂である中林洞の薬峴聖堂と殉教者記念館(写真提供:カトリック・ソウル大教区)
西小門の外の十字路殉教聖地を管轄する中林洞の薬峴聖堂は、1898年に建設された明洞聖堂の6年前に建てられた。韓国最初のゴシック様式の教会であり、西洋式のレンガづくりの教会で、歴史的に重要な価値を持っている。1892年11月に完成し、それ以降に建てられるレンガづくりの聖堂のモデルとなった。1991年に本堂設定100周年を記念して建設された西小門殉教者記念館には、図書や遺物、殉教者の遺品などが展示されている。
京幾監営は、1393年の泰宗2年(在位1400~1418)のときに設置され、観察使が職務に就いていた場所だ。チョ・ヨンサム・ペテロをはじめ、京幾道の楊根(現在の楊平)地区と驪州地区の信者らがここに連れてこられ、ひどい拷問と刑罰を受けた。チョ・ヨンサムは獄中で洗礼を受け、1801年3月27日に監獄で息を引き取った。彼は最後の刑罰を受けるとき、自身の信仰をこう告白した。「天に主人は2人おらず、人の心は2つ存在しない。私が望むのは、神のために死ぬことだ。他に何も話すことはない」。
京幾監営址(左)と義禁府址(右)(写真提供:カトリック・ソウル大教区)
義禁府は、王の命によって犯罪者を尋問する朝鮮時代の官庁だった。カトリック信者らの中でも重罪人、つまり主教と神父、リーダーらは王の命によって義禁府に移送された。義禁府で尋問を受けたカトリック信者は、イ・スンフン・ペテロや「内浦の使徒」イ・ジョンチャン・ルドヴィーコ・ゴンザーガ(Louis de Gonzague)らだ。刑曹は、朝鮮時代の中央官署で、韓国カトリック教会創設以来多くの信者がここに移送され、尋問を受けた。典獄署は、監獄と犯罪者らに関する事務を担当する官署だった。多くのカトリック信者がここに移送され、尋問を受け、刑が執行されるまでここに収容された。キム・デゴン神父の父親であるセント・キム・ジェジュン・イグナチオ(Ignatius)も義禁府から刑曹に移送され、処刑されるまで典獄署に収容された。
(左から)右捕盗庁址、典獄署址、刑曹址(写真提供:カトリック・ソウル大教区)
右捕盗庁は、ソウルの西北部と加平、開成、高陽、坡州、抱川などを管轄する官庁だった。1879年5月14日に忠清道公州地区でドゲット(Victor Marie Deguette)神父が信者らとともに逮捕され、ソウルの捕盗庁に移送された。このときは迫害が終了していた時期なので、ひどい拷問はなかったが、ドゲット神父とともに投獄された信者らは、空腹で大きな苦痛を受けた。結局、数人の信者は右捕盗庁で餓死したが、彼らこそまさに韓国カトリック最後の殉教者だ。
「生命の道」の最終地点である嘉会洞聖堂のある桂洞は、周文謨神父が1795年に朝鮮で初めてのミサを執り行った場所だ。彼は、1794年12月24日に朝鮮に入国し、信者の家で朝鮮語を学んだ。しばらくして周文謨神父は、信者らとともに逮捕され、捕盗庁でひどい刑罰を受け、1795年6月28日に殉教した。
ソウル桂洞の嘉会洞聖堂。桂洞は韓国最初の宣教師である周文謨ヤコブ神父が朝鮮で最初のミサを執り行った場所だ(写真提供:カトリック・ソウル大教区)
「生命の道」の略図
コリアネット イム・ジェオン記者
jun2@korea.kr