文化

2016.11.29

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1991年にMBCで放送された全36回のドラマ『黎明の瞳』で主役を務めたチェ・ジェソン(左)とチェ・シラ

1991年にMBCで放送された全36回のドラマ『黎明の瞳』で主役を務めたチェ・ジェソン(左)とチェ・シラ



1991年10月7日から翌年の2月6日にかけて人気を独占した「国民的ドラマ」があった。それはMBC放送局の全36回のドラマ『黎明の瞳』。キム・ソンジョン作家の同名小説を原作とするこのドラマはただの恋物語ではなく、韓国の歴史をリアルに描きながらその時代を生き抜いた人々の愛を表現した。

制作期間2年4カ月、制作費72億ウォン、出演者2万1千人、平均視聴率44.3%、最高視聴率58.4%。これらの数字からもわかるように同作により韓国では「ブロックバスター(超大作)ドラマ時代」が幕を開けた。

『黎明の瞳』は植民地時代から韓国戦争(=朝鮮戦争)にいたるまでの激動の韓国現代史を背景に、ヒロインのユン・ヨオクを愛するチェ・デチとチャン・ハリムの三角関係を描いた作品。

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『黎明の瞳』は最高視聴率58.4%を記録し視聴者を虜にした。写真は主人公のチェ・デチを演じたチェ・ジェソン(左上)、ユン・ヨオク役のチェ・シラ(右上)、そしてチャン・ハリムを演じたパク・サンウォン(下)

『黎明の瞳』は最高視聴率58.4%を記録し視聴者を虜にした。写真は主人公のチェ・デチを演じたチェ・ジェソン(左上)、ユン・ヨオク役のチェ・シラ(右上)、そしてチャン・ハリムを演じたパク・サンウォン(下)



ヨオクは17歳で日本軍の慰安婦として連れ去られる。中国で大学に通っていたデチは一時帰国したときに日本陸軍第15師団に学徒兵として強制徴集される。そしてデチは中国南京の第15師団で地獄のような慰安婦生活を強いられていたヨオクにめぐり合う。恋に落ちた2人は愛から人生の希望を得て、子供を授かることで生存への意志をさらに奮い立たせる。

そんななか試練が訪れ、デチが中国を離れることになり2人は離れ離れになってしまう。日本軍がサイパンに送る慰安婦を募集しているという知らせを聞いたヨオクはデチに会えるかもしれないという期待を抱いてサイパンに向かう。そこでヨオクは日本軍の医務兵として服務していた朝鮮人のハリムに出会う。ハリムはヨオクの妊娠を知り、彼女を保護しながら恋心を抱くことになる。

日本軍が細菌戦を準備していることを知ったハリムは軍隊から脱出して連合軍に加わる。その後、ヨオクとハリムの2人は米情報局の要員になり祖国で様々な作戦を遂行する。2人が婚約して結婚を準備していたある日、北韓の対南工作員になったデチが現れる。ヨオクは悩んだ末にデチについていくことを決心する。ヨオクは米情報局の機密をデチに渡し彼を助けながらも、ハリムに対する罪悪感に苦しむ。

ついに韓国戦争が勃発。ヨオクは戦争で息子を亡くして一人で故郷に戻り戦災孤児の世話をしながら暮らす。デチは韓国戦争前後に韓半島南部で活動していた左翼部隊の隊長として後方のかく乱作戦を展開し、ハリムはその討伐作戦に投入され2人は運命の戦いを繰り広げる。そこにヨオクが現れ怪我をしたデチと再会するが、結局デチとハリムが見守るなか銃に撃たれ息を引き取る。怪我をしていたデチも彼女の後を追う。

そして唯一生き残ったハリムの独白でドラマは幕を下ろす。

「その年の冬、智異山(チリサン)の名も知らぬ谷に私が愛していた女性と決して憎むことのできなかった友人を葬った。彼らは去り、私は残された。残された人には何かしら理由があるのだろう。それはたぶん希望ではないだろうか。希望を捨てない者だけがこの過酷な世界に打ち勝つはずだから…」

ヒロインのヨオクがデチの腕の中で息を引き取るラストシーン

ヒロインのヨオクがデチの腕の中で息を引き取るラストシーン



『黎明の瞳』の恐るべき人気は20話までを中国やサイパンで撮影した雄大で異国的なシーンに後押しされたもの。20話以降は本格的なストーリーがスピーディに展開され、美しい映像で最後まで緊張感を保ったことが成功の要因と評価された。

同作が放送されたことにより当時あまり知られていなかった慰安婦問題が注目され、悲劇的な韓国の近代・現代史を主人公らの人生と愛でリアルに描いたという激賞を受けた。

ドラマの名シーンとしてはデチが鉄条網を這い上がりヨオクの首を引き寄せてキスする「鉄条網キスシーン」を挙げられる。この場面はハルビンのある軍部隊で撮影され、およそ3千人の中国人が見守るなかで撮影されたという。日本軍から脱出したデチがミャンマーの沼地で生きた蛇の皮を歯で噛み千切りその肉を食べたのも20年以上経つ今でも記憶に残るシーンだ。

ヒロインを務めたチェ・シラは当時24歳の新人。同作で演技力が認められ大ブレイクし、トップスターになったチェ・シラは当時を振り返りながら「『黎明の瞳』がなかったら今ここにチェ・シラがいられただろうか。たぶんいないと思う」と、ドラマへの愛情を露にした。ヒーローのデチを演じたチェ・ジェソンも「このドラマが子役のイメージから抜け出し大人の役者に位置づけられた一番の契機になった。私にとってはベスト作品」と感想を述べた。

『黎明の瞳』に登場する慶尚北道(キョンサンブクト)浦項市(ポハンし)九龍浦(クリョンポ)

- 九龍浦・近代文化歴史街

浦項市九龍浦のチャンアン洞の路地に80軒以上の日本風家屋が軒を連ねる近代文化歴史街

浦項市九龍浦のチャンアン洞の路地に80軒以上の日本風家屋が軒を連ねる近代文化歴史街



新羅・真興王(チンフンワン、在位540~576年)時代に海から9頭の龍が空へと舞い上がった浦という意味で名づけられた九龍浦。ここチャンアン洞の路地には1910年から1千人以上の日本人が住んでいた家々が残っている。総延長が457mに上る「九龍浦・近代文化歴史街」には、独立後に日本人が本国に帰り日本風の家屋だけが残る。100年経った今でもよく保存され日本の趣が感じられる浦項(ポハン)の代表観光地になった。このうち富士山模様のガラスが張られた家で『黎明の瞳』の撮影が行われた。
『黎明の瞳』が撮影された近代文化歴史街の家屋ではドラマの主要シーンが納められた写真が観光客を迎える

『黎明の瞳』が撮影された近代文化歴史街の家屋ではドラマの主要シーンが納められた写真が観光客を迎える



1906年、香川県漁連小田組所属の約80隻の漁船がサバなどの魚を追って九龍浦に定着したことで村が造成された。船舶経営、船舶運輸業、缶詰加工工場などを運営し富を築いた日本人がここに家を建て始め、1932年には約300世帯・1,161人が居住する日本人の集団居住地域に拡大した。現在残っている日本風の家屋からは当時の九龍浦の繁栄が窺える。現在80戸以上の家屋が残っている。日本風の冷麺・お茶などを味わえるレストランもある。

※交通アクセス:ソウルから高速鉄KTXで浦項駅に移動。浦項駅のバス停から幹線バス210番に乗車し、九龍浦近代化通りで下車(約1時間30分所要)


コリアネット ソン・ジエ記者
写真:MBC、韓国観光公社
翻訳:イム・ユジン
jiae5853@korea.kr